1905年(明治38)
合名会社藤田組 小坂鉱山の事務所として建設される。設計は北湯口勇太郎と推定されている。
1942年(昭和17)
一部増築。
1991年(平成3)
小坂町総合計画で「明治百年通り構想」を打ち出す。
1997年(平成9)
この年まで、現役の事務所として利用されていた。工場増築に伴い、解体されて小坂町に譲渡。町有形文化財に指定され、移築復元工事が行われる。(2001年に工事は完了)
2002年(平成14)年
国重要文化財に指定。(文化財名には「旧」がつくが、施設名としては小坂鉱山事務所として活用。)