1916年(大正5)
実業家、大和田荘七の朝鮮牛の輸入計画のために設置された建物。地名から「縄間(のうま)の検疫所」と呼ばれた。
1935年(昭和10)
この頃が検疫所の最盛期。この年は15,000頭の牛の輸入検疫を行なった。
1963年(昭和38)
検疫所敦賀出張所廃止。その後、材木会社の管理となる。
?年
オートキャンプ場の管理事務所として使われる。
2010年(平成22)
老朽化のため解体。解体後も桟橋と牛通路トンネルが存在していたようだ。(現状未確認)
なお、ここで使われた牛の体重計や当時の写真が、敦賀市の「みなとつるが山車会館」に保管展示されているとのこと。
(参考:「動検時報」2016年10月号)