1914年(大正3)
大阪電気軌道富雄駅開業、電気を供給する変電所として、駅付近に建設された。(駅所在地は当時富雄村。)
1941年(昭和16)
大阪電気軌道と参宮急行電鉄とが合併し、関西急行鉄道となる。半年後、富雄駅は鵄邑駅に改称。
1944年(昭和19)
前年より各社と合併をした結果、路線網拡大。戦時統合により南海鉄道と合併、近畿日本鉄道が成立。
1953年(昭和28)
富雄村が富雄町となる。駅名は富雄駅に再改称。
1955年(昭和30)
富雄町が奈良市に編入合併。
1969年 (昭和44) 頃
路線昇圧に伴い、変電所としての役目を終える。1970年に改装され、以後はホームセンターなどとして活用。
昭和〜平成
1985年頃に県道拡幅計画による解体が検討されたが、近鉄OBの方が熱心な保存活動を行い、市や県・近鉄に保存を訴えてきた。建物調査の結果、道路にかかる部分が増築部分であり本体には影響ないことが分かったので、増築部のみ撤去して本体は保存することになった。(1996年に工事)。
2003年から2014年までレストランとして利用されたが、2015年現在は空き家とのこと。(参考:富雄公民館だより平成27年秋号 ほか)
2024年 (令和6)
所有する近鉄不動産(大阪市)が解体を決定。6月には地上部分の解体工事が終了した。