1913年(大正2)
明治43年に国有林の払い下げを受けた秋田木材は、原木を本州に送るようになった。大正元年に木工場を新築し、翌2年に火力発電所を建設した。(稚内市のHP等によると、発電所に「声問」の地名をつけずに呼んでいるので、声問発電所という呼び方をしなかったのかもしれません。)
1914年(大正3)
発電所から、稚内市内へも電気が供給され始める。
1925年(大正14)
秋田木材が閉鎖される。(昭和2年という資料もあるらしい。)
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現在は牧場の倉庫として利用されているが、煉瓦部分は屋根も抜け落ち崩壊が進んでいる様子。