1874年(明治6)
現在は羽島市に含まれている竹ヶ鼻村。前年に設立された好問義校と出藍義校を合併し、竹ヶ鼻学校と名付けた。発足時の校舎は大谷派本願寺別院食堂を使った。
1880年(明治13)
5月、新庁舎落成開校式。(着工は1877年なので、3年掛かりだったことになる。)
1884年(明治17)
隣地を購入して運動場を拡張。
1889年(明治22)
竹ヶ鼻町となる。
1891年(明治24)
10月28日の濃尾地震により校舎倒壊。竹ヶ鼻町では、人口4950人のうち、死者268人,負傷者283人だったという。町内の建物の被害率は100%と記録されている。
1892年(明治25)
仮校舎を建設し,5月に授業再開。本校舎は1984年完成。
1954年(昭和29)
10村が合併して羽島市が発足。竹ヶ鼻町廃止。
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「
旧竹ヶ鼻学校」
(2023-02-03)