1907年(明治40)
皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行幸の宿舎として、旧鳥取藩主池田仲博公爵が建設した。設計は片山東熊、その補佐に橋本平蔵(鳥取市出身)があたった。
館名の「仁風閣」は、行幸に随行した東郷平八郎による命名だという。
大正時代
市の公会堂や、県の迎賓館として使用される。
1943年(昭和18)
鳥取震災の際、屋上の煙突が折れて落下。スレート屋根に葺替えられる。
1949年(昭和24)
県立科学博物館として使用される。(〜昭和47年)
1973年(昭和48)
県立博物館の新築に伴い、県から鳥取市に建物が譲渡される。市は3年かけて修理復元を行う。同年、国重要文化財に指定。
1976年(昭和51)
公開開始。