1926年(大正15)
市制10周年記念事業として、公会堂が建設される。武田五一が設計顧問を務める。(彼は福山市で生まれ、4歳になるまでここで過ごした。)
1945年(昭和20)
8月8日の福山空襲では市街地の8割が焼失したが、市職員の活動により、延焼をまぬがれる。(隣接していた市庁舎は焼失している。)
1955年(昭和30)
玄関部分や舞台、内装など大幅に改装される。正面外観では、庇が設置されアーチ部分にドアが取り付けられた。
1965年(昭和40)
市民会館を新築することになり、役割を終える。建物は解体された。