ペトラは,紀元前3世紀頃からこの地に住むようになったナバテア人によってつくられた都市でした。紀元前1世紀頃からローマ帝国の支配下に入り、このころからローマ風の石造建造物が造られるようになります。多くは切り立った岩壁を削り出して造った建造物です。(紀元後2世紀には完全にローマの属州となりました。)
この建造物は、下半分が「バーブ・アッシーク・トリクリニウム」、上半分が「オベリスクの墓」と呼ばれている、それぞれ別の墓地です。1世紀後半にトリクリニウムが造られ,オベリスクの墓はそれよりも後の時代につくられました。トリクリニウムは、葬儀や追悼の儀式を行った場所だそうです。
ペトラはその後衰退し、再び広く知られるようになるのは19世紀になってからでした。まだ85%くらいが未発掘だそうです。