旧別府郵便局電話分室のポップアップカード
今回は、13年前に作ったカードの改良版である。
旧別府郵便局電話分局のポップアップカードだ。
比較用に以前のカードの写真も掲載しよう。
以前のカードだと、建物の大きさが実感できなかったので、まず窓を細かくしてみた。
それから、玄関とバルコニーを一緒に作っていたものを、バルコニーの方が前に出るようにした。バルコニーの手すりも作りたかったので別パーツを使うことにした。
左のようなパーツを作り、玄関上部に接着した。
これで良いだろうと思っていたが、カードの開閉を確認してみると問題が起こってしまった。
窓枠が細いので、赤い線の部分で折れ曲がってしまうのだ。そうすると開閉した時に窓が引っ掛かってしまうような動きになって、それが気に入らない。
別パーツを使った時点で型紙公開をしないことにしていたので、さらに補強パーツも接着することにした。窓部分を裏から補強するので、窓の形が分かるように色画用紙を使う。
このように裏から窓の部分に色画用紙を貼って補強とした。
写真撮影後に手前の2列も貼った。
これが完成写真だが、作ってからまた失敗に気付いた。
玄関ドアとその上の窓の奥にはカードのカバーの色画用紙が見えるのだが、陰になるから暗く見える。だから窓の色だけ明るく見えてしまうのだ。補強の画用紙はもう少し暗い色を選べば良かった。
でもそこだけやり直すのも面倒くさいので、これで完成とした。
実は、今回このカードを作り直したのは、形の修正だけが理由ではない。
建物の名前も違っているらしいことを知ったのだ。
この建物、登録有形文化財としての名称は「別府児童館(旧別府郵便電話局電話分室)」である。
私が2011年にカードを作った時もこれを参考にしていたので、その旧名称の方をカードの題名にした。
ところがあるサイトで、その名称は間違いだろうという指摘を見た。
→ 「Fukupedia」「別府市南部児童館」(2017-10-14)
気になったので自分でも確認しようと思い、国立国会図書館のデジタルコレクションで確認した。
そうすると「別府郵便電話局」という表記をしているのは、1973年の「別府市誌」と、1998年の「日本ナショナルトラスト報」だけだった。
後者は登録有形文化財の話なので、それ以前の資料は別府市誌しかないのだ。
「明治26年2月1日、別府村北町の別府郵便局は別府郵便電話局となり、電信業務を開始した。(…中略…)ようやく昭和3年11月20日、南町に電話分室局舎を新築、電話課を設置…」
(「別府市誌」1973 より)
次に1933年の「別府市誌」を確認したところ、「別府郵便局」の「電話分室」を設置したことが書かれていた。
別府郵便局で検索していったところ、「九州の電信電話百年史」(1971)に別府電報電話局の沿革が掲載されていた。それによると、
「明治26.2.1 別府郵便電信局電信事務開始
明治36.4.1 別府郵便局に改称
(中略)
昭和3.12.20 電話分室局舎新築(南町2266の1)」
とあった。明治26年の名称は「別府郵便電話局」ではなく「別府郵便電信局」だったようだ。
そのあと別府郵便局に改称されているので、このポップアップカードの建物が建てられた時の名称は「別府郵便局 電話分室」ということになるはずだ。
試しに「別府郵便電信局」で検索すると、1900年代(明治33~42年)の書籍や官報に使われているのが20例以上あったので、やはりこちらの名前が正しいようだ。
1973年の別府市誌の「別府郵便電話局」が誤記なのだと思うが、もしかしたら文化財に登録するときにこの書籍が参照されたのかもしれない。
今回は、文化財に登録された名称が正確ではなかったようなので、名前を訂正するのと形を修正するのを同時にやろうと思ったのだ。
文化財名の「別府市児童館」も、2021年に移転したようだし、こちらも実態と合わなくなっている。まあ児童館は登録時は実際そうだったのでまだしも、「郵便電話局」は存在していなかったので、修正した方がいいんじゃないかなあ…などと思ってしまったのだった。
【参考】
「別府市誌」(別府市教育委員会/1933)
「別府市誌」(別府市/1973)
「九州の電信電話百年史」(日本電信電話公社九州電気通信局/電気通信共済会九州支部/1971)
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