野付牛にあった建物

北海道北見市は1942年(昭和17)に野付牛町が市制施行して発足した市である。
その後1956年には北見市と相内(あいのない)村が合併。
さらに50年後の2006年(平成18)に、北見市・留辺蘂(るべしべ)町・端野(たんの)町・常呂(ところ)町が合併して、現在の北見市となった。

国立国会図書館デジタルコレクションで「野付牛町誌」(1927年出版)と「野付牛名鑑 1933」(1933年出版)を見つけた。そこに当時の建物の写真が掲載されていたので、ポップアップカード作りの下調べも兼ねてこの記事を書いていく。

最初の写真は、野付牛運輸保線事務所だ。

1920年(大正9)に、当時の鉄道院が建設した。
1949年(昭和24)に旭川鉄道北見総合事務所と改称されて使われていたが、1983年(昭和58)に解体された。跡地には記念碑が設置されているそうだ。

次の写真は野付牛駅だ。

野付牛駅は1911年(明治44)に開業した。その後1935年(昭和10)に改築されたとのことなので、この写真は改築前の駅舎ということになる。
なお駅名は1942年に北見駅と改称された。

次の写真は、タイトルには「一條通」とあり建物の名前が書かれていないが、別の資料で根室銀行野付牛支店だと分かった。

この支店は1913年(大正2)5月に開業したそうだが、翌年の火災で焼失してしまい、1921年(大正10)に建てられたのがこの建物のようだ。その後1923年(大正12)に安田銀行に合併された。
いつまでこの建物が使われていたのか調べられなかったが、1957年発行の北見市史には「富士銀行北見支店」として同じ建物が掲載されていた。1954年に富士銀行が建物を購入したようだ。

こちらは北海道拓殖銀行野付牛支店。

1917年(大正6)9月に開業した。
ただしこの建物は1924年(大正13)に建てられたものらしい。
こちらも1957年時点では「北海道拓殖銀行北見支店」の名前になっているが、その後については調べられなかった。

写真はないが、銀行ではこのほかに十二銀行野付牛支店が1920年(大正10)に新築設立されている。

野付牛区裁判所は、1929年(昭和4)の建築。

1947年に釧路地方裁判所北見支部と改称されたが、いつまでこの建物が使われたかは調べていない。

次の写真は町立野付牛女子職業学校である。
野付牛女子職業学校は1923年(大正12)に開校した。

ただし、開校当初は中央小学校の2教室を使って授業をしており、翌年野付牛西小学校旧校舎に移転した。このとき生徒数は200名ほどおり、町はすぐに校舎の新築を計画した。
1926年(大正15)3月に竣工したのが写真の校舎だ。
1934年(昭和9)に野付牛町立高等家政女学校と改称、続いて1936年に野付牛町立高等女学校と改称した。
1942年に北見市となったので、北海道庁立北見高等女学校とまた改称し、さらに北見女子高等学校と変更(1948)している。
校舎がいつまで使われたかは不明だが、学校はその後1950年に男女共学となり、北見柏陽高等学校として存続してる。

最後は、野付牛町役場。
1932年(昭和7)5月23日、火災が発生して当時の野付町役場が全焼した。
その後、1938年に新築されたのがこの庁舎である。

1942年に北見市となった後は北見市役所として、1955年に新庁舎が建てられるまで使われた。
その後は藤高校が仮校舎として1957年12月まで使用したそうだが、建物がいつまで存在したのか調べられなかった。
北見市役所は、1955年築の新庁舎の方も2011年に解体され、もう存在しない。

以上7つの建物の写真を紹介したが、この中から選んでポップアップカードを作ろうと思っている。

【参考】
「野付牛町誌」(野付牛町誌編纂委員/常呂郡野付牛町/1927)
「野付牛名鑑 1933」(野付牛名鑑発行所/1933)
「安田銀行六十年誌」(安田銀行六十周年記念事業委員会編/安田銀行/1940)
「富士銀行七十年誌」(富士銀行七十周年記念事業委員会編/富士銀行/1952)
「北見市史」(安藤武雄著/北見市/1957)
「北海道の開拓と建築 下巻」(北海道建築士会編/北海道/1987)

歴史・資料

Posted by Sakyo K.