旧豊郷小学校(3)
続いて旧酬徳記念図書館へと向う。こちらは一度本館から出て、玄関から入るようになっている。現在は観光案内所として使われており、中に売店がある。

前の記事でも書いたように、この図書館は学校の敷地内にあるが豊郷村に寄贈されたのではなく、初代伊藤忠兵衛の徳を偲ぶ会である酬徳会が、豊郷済美会に寄贈したものである。豊郷済美会は2代目伊藤忠兵衛が1918年(大正7)設立した財団法人だ。
だから形式としては私立図書館であった。村民だけでなく彦根市など他市町村からも来訪者があったという。
手続きはどうしたのかよく分からないが、後に学校図書館という形に変わっていったようだ。当初は済美会の理事長が館長を務めていたが、後に豊郷小学校長が館長を兼務するようになった。
この建物も2013年に登録有形文化財として登録されている。
館内には売店もあるので撮影はできないだろう思っていたが、確認したら撮影も可能だということなので写真を何枚か掲載する。
玄関を入って見えるのが部屋の中央に並ぶ柱だ。ちょっと圧迫感があるな。
奥に木製のカウンターがあって、その向こう側に書庫があったようだ。
手前には観光案内のパンフレットが並べられている。

奥にあるカウンター。多分ここで貸し出しを行なっていたのだろう。

閲覧室はこんな雰囲気。

二階には資料等が展示してあったが、二階ももとは閲覧室だったのだろうか。

一階から二階部分を見上げたところ。

建物の外観。
1963年に「豊郷村史」が出版されたが、その編集室はこの図書館の一室に置かれていた。

次の写真は、学校の寄贈者古川鉄治郎の銅像である。これは図書館ではなく本館の前に設置されている。1957年に建てられたものだ。
もともとは1937年、校舎建築中に古川の胸像を作ろうという提案があった。村内から寄付を募りそれで銅像を作ったのだ。村民一同から贈るという形で校舎の新築落成式(1937年5月30日)に披露した。

1940年、古川鉄治郎が亡くなった。後に村でも追悼式を開催した。
ところが銅像もその3年後に失われることになる。戦時中の金属回収で銅像も撤去されてしまったのだ。
小学校新築20年を迎える1957年。銅像を再建しようという声が上がった。村内で寄付を集め、以前と同じ形の銅像が再び作られたのだ。それがこの像である。
なお、それ以前の1941〜42年に、学校備品も二度に渡って金属供出をさせられた。暖房設備や門扉、鉄柵などが撤去されたという。
本校舎の廊下の壁には、このような凹みがある。何かを取り付けていたボルトと、配管の一部が残っている。
おそらく暖房設備がここにあったのだろう。

なお、暖房のボイラー本体は地下に残っており、2019年度建設設備技術遺産に認定されたそうだ。
【参考】
「豊郷村史」(藤川助三編/滋賀県犬上郡豊郷村史編集委員会/1963)
「滋賀県市町村沿革史 第3巻」(滋賀県市町村沿革史編さん委員会 編著/滋賀県/1967)
「滋賀の図書館 : 歴史と現状」(平田守衛 著/平田守衛/1980.7)
「建設設備遺産ニュースリリース(pdf)」(昭和鉄工株式会社/2019-06-03)





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