龍ケ池・砂山池揚水機場
この写真は、旧豊郷小学校の生徒昇降口に設置されているポンプである。
下の看板を見ると、製品名として「コンケロルポンプ(The Conqueror Pump)」と書かれている。英国のアレン社(W.H. Allen Son & Co. LTD)が製造したポンプだ。

このポンプは、龍ケ池揚水機場で以前農業用水を汲み上げるのに使っていたものらしい。
ポンプのすぐ横に、説明パネルが何枚か立てられている。
パネルには「龍ケ池・砂山池の軌跡」と書かれていた。
これによると、1910年(明治43)に地下水を農業用に汲み上げるポンプ場を、豊郷村の四十九院区と石畑区に作ったということだ。

当時この地域は農地の水不足に悩まされおり、犬上川からの取水では水争いが頻発し、井戸から水を汲み上げるには「はねつるべ」を使って人力で行なわなければならなかった。その井戸も干ばつ時には涸れることが多かった。
1909年(明治42)、干ばつに見舞われた石畑と四十九院の両地区では、動力による揚水を行なう計画が立てられた。12月6日に試掘工事を行ない、27日から区民全員が参加しての工事が始まった。
翌1910年6月、龍ケ池と砂山池のポンプの試運転が行われた。水量は十分だったので、豊郷村耕地整理組合を設立して、動力揚水事業を進めた。
当時国内ではポンプの利用はあったものの、水量豊富な湖沼や大河川を水源とするものと、逆に排水用ポンプとして使う例しかなかったらしい。地下水を利用した農業用揚水機の設置事例はなかったのだ。そのためこの計画は周囲からは懐疑的な目で見られ、県職員の中にはこの事業は失敗すると公言した者もいた。しかし8月には県知事らが視察に来ることになったそうだ。
その後護岸工事や水路改修工事を行ない、1913年(大正2)の11月2日に竣工式が挙行された。
設置した当時は蒸気ポンプで動かしていたが1923年(大正12)に電動化して、現在も使われている施設(※)だそうだ。
2014年(平成26)に砂山池・龍ヶ池揚水機場は土木学会の選奨土木遺産として選奨され、龍ケ池は2024年(令和6)に世界かんがい施設遺産に登録された。
(※ 2025年5月19日付の中日新聞の記事によると、龍ケ池揚水機場の方は2020年に故障して以来稼動していないとのことだ。今後の活用方法も決まっていないとある。それ以後進展があったのか、私には分からない。)
では、施設を見に行こう。
まずは、砂山池揚水機場から見学をする。東海道新幹線の線路のすぐ近くに揚水機場はあった。
これは西側(西北西)から見た様子。土地を掘り下げて石垣を組んである。石垣部分は幅3.6m、長さ29mあり、ここに井戸が掘られている。井戸の横にはポンプを収める建物が建てられている。建物の下部は煉瓦積みだ。
敷地はフェンスで囲まれているので入ることはできない。

周囲を移動しながら撮影した。地下にパイプが繋がっているのが見える。
煉瓦壁の上部には石版が設置されている。ここからでは判別できなかったが、「旌功」(せいこう=功績を顕彰すること)と書いてあるそうだ。

東側(東南東)に廻ってみた。フェンスの上から手を伸ばして撮影。
煉瓦積みの柱を立て、パイプを渡してある。汲み上げた水はここを上ってくるのだろう。

その水は、道路横の用水路に注がれるようだ。冬なので水は流れていなかったが。

これもフェンス越しに撮影した。

砂山池と龍ケ池の揚水機場は、日本で最初期の蒸気ポンプによる地下水汲み上げ施設である。この事業の成功を見て、滋賀県内では組合を設立して水源地の掘削・揚水機の据え付けに着手する地区が増えた。
地元だけでなく、全国各地から視察者が訪れたという。
では、次は龍ケ池揚水機場に移動しよう。
(つづく)
【参考】
「農事電化」第4巻第10号(農事電化協会編/農事電化協会/1930.10)
「豊郷村史」(藤川助三編/滋賀県犬上郡豊郷村史編集委員会/1963)






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