近江八幡とW. M. ヴォーリズ(2)
(つづき)
ヴォーリズ建築を紹介するガイドツアーに参加した。
次に紹介するのはヴォーリズ学園だ。

写真の建物は、中央がハイド記念館、左側は教育会館と呼ばれている。どちらもヴォーリズの設計で1931年(昭和6)に建築された建物だ。
この学園は、1922年(大正11)にヴォーリズ夫人の一柳満喜子が開設した清友園幼稚園が始まりだ。1947年(昭和22)に近江兄弟社小学校・中学校が、翌年に近江兄弟社高等学校が設立された。2015年(平成27)に学校法人ヴォーリズ学園と改称された。
向って右側の門柱にはヴォーリズ学園の表札が付けられているが、左側の門柱には近江兄弟社学園の表札が付いている。

ハイド記念館は清友園の園舎として建てられた。アメリカの実業家ハイド氏の寄付により建てられたので現在はハイド記念館と呼ばれている。
2003年(平成15)3月まで、近江兄弟社幼稚園舎として使われていた。
ハイド記念館の玄関。

内部には創立者ゆかりの品や資料パネルが展示されており、有料で一般公開されている。
隣の教育会館は、清友園の体育館として建てられたものだ。
内部も見学することができた。

二つの建物は、2000年(平成12)に国の登録有形文化財として登録された。
次の建物はヴォーリズ学園のすぐ近くにある。1931年(昭和6)に建てられた旧ヴォーリズ住宅だ。

当初は幼稚園の教員寄宿舎として建てる予定だったが、建築途中で自宅に変更されたそうだ。現在は近江兄弟社一柳記念館(ヴォーリズ記念館)として使われている。
ヴォーリズの遺品や資料が展示されているが、見学には予約が必要である。

次の写真は、アンドリュース記念館だ。
前回の記事で、1907年(明治40)に建てられた八幡YMCA会館について触れたが、1935年(昭和10)に建て替えられた。それがこの建物だ。

現地の説明板には、「1935年に最初に建物が建った位置から12m隣接の現在地に移築しました」と書かれている。そのせいか、現在の建物が明治建築であるかのように書いているサイトがいくつもある。新旧の建物は形が違うので、移築というよりは旧い建物の部材を利用した改築(あるいは再建)と言った方がよいだろう。建て替えの理由は1934年の室戸台風で被害を受けたからである。
アンドリュースというのは、ヴォーリズの大学時代の親友で若くして亡くなったハーバート・アンドリュースのことだ。初代の八幡YMCA会館はアンドリュース家からの寄付をもとに建てられたので、その名が付けられ、現在の建物にも引き継がれている。
2009年(平成21)に登録有形文化財として登録された。
1941年(昭和16)、日米が対立を深め多くの外国人が日本を離れたが、ヴォーリズは日本国籍を取得し、夫人の姓を使い一柳米来留と改名した。ヴォーリズ建築事務所も一柳建築事務所と改称した。
一柳建築事務所は戦時体制の影響で1944年に解散し、建築事務所は戦後の1946年に近江兄弟社内の建築部門として復活した。
1961年に建築部門を独立させ、株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所を設立、現在も活動している。
次の建物は、戦後にヴォーリズが改築設計をした近江八幡市立資料館だ。

もとは1886年(明治19)に建てられた八幡警察署を、1953年(昭和28)に大幅に改築したというのだが、改築前の写真を見つけることができなかった。
ここまではガイドツアーの順番ではなく建物の建築年代順に書いてきたが、ガイドツアーの最後は白雲館で解散した。(これはヴォーリズ建築ではない。)

この建物は1877年(明治10)に八幡東学校として建てられたものだ。現在は観光案内所・市民ギャラリーとして使われている。
【参考】
「ヴォーリズ建築事務所作品集 Thier work in Japan 1908-1936」(ヴォーリズ建築事務所著・中村勝哉編/城南書院/1937)
「日本の建築明治大正昭和 第6巻」(山口廣著/三省堂/1979)
「近代建築ガイドブック 関西編」(石田潤一郎ほか著/鹿島出版界/1984)
「W.メレル・ヴォーリズ(一柳米来留):近江に『神の国』を」(奥村直彦著/近江兄弟社湖声社/1986)
「街角ルネサンス : 湖国に息づく西洋建築 (近江文化叢書 ; 24)」(増田耕一編/サンブライト出版/1986)
「ヴォーリズの建築 : ミッション・ユートピアと都市の華」(山形政昭著/創元社/1989)
「滋賀県近代建築調査報告書」(滋賀県教育委員会文化部文化財保護課 編/滋賀県教育委員会/1990)





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