白雲館
近江八幡市の白雲館は、日牟禮八幡宮の鳥居と道を挟んで向きあって建っている。
ガイドツアーはこれで終わりだ。館内でガイドの方に挨拶をして解散となった。
では、この建物について紹介していこう。

1872年(明治5)に明治政府は学制を発布した。それを受けて八幡町では翌年、寺を校舎とした八幡東学校と、個人宅を校舎とした八幡西学校を開校した。
1876年(明治9)八幡東学校は新校舎の建築に取り掛かり、翌1877年4月に完成した。それがこの校舎だ。棟梁は地元の大工高木作右衛門が務め、建築費用は6千円だったという。建てられた時から「白雲館」と呼ばれていた。
一方、八幡西学校は個人宅を買い取って増築をして使っていた。
1886年(明治19)に2校は形式上統合し、八幡東学校が高等科八幡小学校に、八幡西学校が尋常科八幡小学校となる。その後1889年3月に両校を併せ高等尋常八幡小学校となり、白雲館が本校舎となった。

しかし生徒数が多く校舎が手狭だったので、1893年(明治26)に新校舎を建築して学校は移転した。なので校舎としては十数年しか使われなかったのだ。
1895年(明治28)に八幡町役場がこの建物に移った。
正確な時期は分からなかったのだが、役場として使われることになった時に太鼓楼は撤去されたようだ。
その後1900年(明治33)に郡からの希望があり、蒲生郡役所として1923年(大正12)4月まで使われることになった。
郡役所の使用が終わった後は再び八幡町役場となり、1949年頃まで使われた。
1951年からは電報電話局や農林省の食糧事務所八幡出張所として使われたのだが、その時代の写真があるので引用する。(出典:「観光」1997年2月号)

雑誌の説明によると昭和20年代に撮影された写真らしいので、1951年〜55年頃の撮影なのだろう。
1965年頃、近江八幡市は財政難のためこの建物を民間に売却した。購入者は店舗として使うつもりではあったが実現できず、時々手入れはしたものの、ただ保有している状態だったらしい。
おそらく1989年頃に撮影された写真だと思うが掲載する。(出典:「滋賀県近代建築調査報告書」1990)

これを見ると、中央の軒部分が崩れ落ちているのが見える。
手前の左右の壁は漆喰がはがれ落ちている。二階の壁の板張りはオリジナルなものではなく、漆喰壁の上に後で板を打ち付けたものらしい。
その後、市は建物を観光施設として利用しようと考えた。1992年(平成4)に建物を市の所有とし、白雲館の復元に取り掛かる。
依頼を受けた建築研究協会が同年建物の記録をし、復元計画を立てた。
復元にあたって、創建当初の姿に復元するのか外観だけ復元するのか検討し、外観だけの復元とすることになった。今後の活用を考えると外観だけの復元の方が使い勝手がよいということと、内部の改変が大きいため創建当初の形を知るのが難しいという理由もあった。
建物前の道路は1971年に拡幅されていたため、玄関前のスペースが狭くなっていた。そのため、建物をジャッキアップして南へ4m移動することになったそうだ。
太鼓楼は、古写真と解体中の部材の痕跡を手がかりに復元した。
そうして1994年(平成6)6月、地域情報センター「白雲館」としてオープンした。

内部の1階は観光案内所のため写真撮影はしなかった。2階は有料の貸しスペースとして市民に公開されているが、この日は利用されていなかったので写真を撮影した。
階段を上がっていくと最後に左右に分かれる。
奥の壁にはステンドグラスがある。この建物の見どころのひとつのようだ。

室内は現代的な造りになっている。

左側の掃き出し窓が建物の正面中央だ。その右側は空間になっていてテーブルと椅子が並んでいる。
右側の柱のところに板壁のようなものがあるが、これは壁ではなく展示用の棚だった。上部は天井に届いていない。

上の写真の掃き出し窓のところへ行って右側を向いて撮影した。

ここが建物の中央になるはず。この天井の上に太鼓楼があるはずだが、そこに上がる階段は作らなかったようだ。
建物を活用することを優先したということなので、これはこれで良いと思う。太鼓楼自体は再現したものなのだし。
玄関を出て左側の壁。「近江八幡観光物産協会」の看板と「白雲館事務所」の表示があった。

1998年に、白雲館は登録有形文化財として登録された。
訪問中は知らなかったのだが、パンフレットにも使われている「白雲館」の文字は、巖谷一六(本名は修)(1834-1905)の書いたものだという。館内に扁額もあるようだが気づかなかった。(画像はパンフレットの表紙の上半分)

私は彼の名前を長野県坂城町の旧格致学校の扁額を書いた人として記憶していたのだが、近江国甲賀郡水口(現在の滋賀県甲賀市)の生まれなのだという。明治政府で書記官僚として勤め、後に貴族院勅選議員にもなった人物だ。書の依頼があればできる限り応えていたそうで、全国各地に作品や碑文を残している。
近江八幡にも多くの書が残されているという。
【参考】
「滋賀県八幡町史 上・中」(滋賀県蒲生郡八幡町編/滋賀県蒲生郡八幡町/1940)
「街角ルネサンス : 湖国に息づく西洋建築 (近江文化叢書 ; 24)」(増田耕一編/サンブライト出版/1986)
「滋賀県近代建築調査報告書」(滋賀県教育委員会文化部文化財保護課 編/滋賀県教育委員会/1990)
「観光」1997年2月号(日本観光協会/1997)
「歴史・伝統の街と白雲館の復元」(平田文孝著/「建築研究協会誌」No.1 所収/2001)
「広報おうみはちまん」令和3年10月号(近江八幡市総合政策部秘書広報課/2021)






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