旧茨城県庁舎
この建物は1930年(昭和5)に茨城県庁として建てられた。現在は三の丸庁舎という名前で、県の関係機関や諸団体が入居している。

訪れたのは午前なのだが、正面が逆光で暗くなってしまうので最初の写真だけ夕方に撮影したものを使っている。他の写真は午前中に撮影したものだ。
祝日だったが玄関は開いていた。受付で建物を見学したい旨を伝えたら、快く通していただいた。

玄関を抜けると、ホールの正面に階段がある。

館内の案内図が掲示されている。
庁舎は漢字の日の字型をしており、この図だと左が正面玄関、右側が裏玄関になっている。
地上3階、地下1階建ての庁舎で、立ち入りはできないが、塔屋が付いている。

明治時代に建てられた庁舎が老朽化したため新たな県庁舎としてこの庁舎は建てられた。着工は1929年(昭和4)4月、設計は置塩章(おしおあきら)(1881-1968)で、施工は竹中工務店が担当した。
1929年といえば、10月に世界恐慌が始まった年だ。しかし工事を遅らせるわけにはいかない。その年の11月に茨城県で実施される陸軍特別大演習で、新築の県庁舎に大本営と天皇の行在所が置かれることが決定済みだったのだ。建築は急ピッチで進められた。
参謀本部から県への確認事項(原文のカナづかいを改め句読点を補った。)
「昭和四年特別大演習 管理部関係事項口演要旨 昭和4年4月
(中略)
三、演習間大本営は水戸市に御治定相成るべく従て統監部も亦同市内に設置せらる。
大本営は貴県新設県庁舎の予定なり。又統監部は水戸市内の某学校を充用の予定にて其期間は努めて短縮すべきも諸施設の準備竝撤去等の為二週間余を要する見込みにつき、教育其他に及ぼすべき支障に就ては予め御配慮を願い度。」
(「陸軍特別大演習並地方行幸茨城県記録 昭和4年」より)
しかしこの短期間では全てが完成することはできないことは県も分かっており、工期を前期後期に分け、必要な部分を優先的に進めるよう計画した。昼夜兼行で工事を進め、予定より早めに完成することができたが、塔屋は未完成だった。当時の写真に塔屋がない県庁舎が写っている。
塔屋も含めて建物全体が完成したのは翌年、1930年5月5日だった。

階段を上がり、廊下を一周する。

窓から塔屋が見える。

こちらは東側の裏玄関。

廊下の壁は茶色系だったが、裏玄関の壁は青っぽい色をしていた。ちょっと雰囲気が違って印象的だった。

祝日のためほとんど人はおらず、一人で各階の廊下を歩いて正面玄関に戻ってきた。
受付にお礼を言って外に出る。
庁舎の南面。
現在は取り除かれているが、1954年に増築してその後は4階建ての庁舎となっていた。

1999年(平成11)に新しい庁舎が完成して県庁は移転、4月7日に閉庁式が行われた。
この庁舎は解体をする計画だったが、三の丸庁舎として再利用することになった。旧県警本部や付属庁舎などを解体した跡地に駐車場を整備し、2000年1月に再開館した。
こちらは東面の裏玄関。

2011年3月11日。
東日本大震災では、茨城県のほとんどの地域が震度6強〜6弱を記録した。水戸市に限れば、死者7名、負傷者74名、住宅の全壊164戸、半壊1903戸、一部破損27,577戸という被害が出た。
三の丸庁舎は増築の関係で四階部分の耐震性が低かったので、亀裂や外壁の脱落など四階と塔屋に被害が集中した。安全を確保するために四階を撤去してから耐震補強をし、塔屋は取り壊して新しく作り替えられた。
2012年12月に修復工事は完了し、建築当初の姿を取り戻した。

最後の写真は1枚目と同様、夕方に撮影したものだ。
今後もこのまま使い続けてほしい。
【参考】
「陸軍特別大演習竝ニ御親閲記念寫眞帖」(下野新聞寫眞部 寫眞撮影/下野新聞/1929)
「陸軍特別大演習並地方行幸茨城県記録 昭和4年」(茨城県編/茨城県/1931)
「東日本大震災の記録誌」(茨城県ウェブサイト掲載/2013年発行)






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