旧茨城県立商業学校玄関

茨城県立水戸商業高等学校の敷地の東端にこの建物がある。古い校舎の玄関部分を保存したものだ。
学校は1902年(明治35)に茨城県立商業学校として創立された。創立当初は民家を校舎としていたが翌年から校舎の建築を始め、1903年12月には先に完成した雨天体操場に間仕切りを作って仮校舎として移転した。

本校舎は、1904年4月に完成した。その一部が上の写真の校舎である。

建物を設計したのは駒杵勤治(こまぎねきんじ)(1877-1919)だ。彼は東京帝国大学の卒業を繰り上げ、1902年(明治35)12月に茨城県庁に営繕工師として就職した。翌年技師に昇格し、県立図書館(1903年11月竣工)・県立商業(1904年4月竣工)・土浦中学校(1904年12月竣工)・太田中学校講堂(1904年12月竣工)など数々の建物を設計した。1904年時点、彼は27歳である。(1905年3月に茨城県庁を退職した。)

現在残っているのは旧校舎の玄関部分(オレンジで囲んだところ)だけだが、竣工当時の校舎配置は図のようになっていた。

1970年(昭和45)から1972年に行われた校舎改築工事で旧校舎は取り壊されることになった。旧校舎を保存したいという同窓会の意向を受け、学校・PTA・同窓会が「校舎保存協議会」を結成して県に陳情書を提出した。しかし県が反応しなかったため、協議会が独自で玄関部分の保存を決めたのだそうだ。
PTAの積立金や同窓会などの寄付金2200万円を当てて1974年に現在地に移転された。

建物の前に立つと、手前に鉄製の門がある。本来はこんな建物のすぐ近くに設置はしないが、多分正門にあったものをここに移動させたのではないかと推測する。
敷地の都合でこうなったのだろう。

ところどころ、ペンキが剥げている。

文化庁のウェブサイトと茨城県教育委員会のウェブサイトには「石貼りの外壁」って書いてあるんだけど、これは本当に石なのかな。金属板を貼ってあるように見えたのだが。
水戸市の文化財課は「柱は石造風」と書いている。

これは側面の写真だが、窓枠部分は木にグレーのペンキを塗ってあるように見える。ただし古い写真を見ると、グレーではなく赤茶色だったようだ。
窓ガラスのすぐ隣の壁は木製で、右端の柱に見える部分には金属板が貼られているようだ。

部分拡大。

正面の屋根には左右に小さなドーム。曲線を使った窓ガラスの枠のデザインも面白い。

移築された建物は、1996年(平成8)に登録有形文化財として登録された。
登録名は「茨城県立水戸商業高等学校旧本館玄関」である。
学校では通称「野いばら館」と呼び、同窓会館として利用している。資料展示室も設けてあるという。機会があれば中に入ってみたいものだ。

【参考】
 「日本商業学校一斑」(永野耕造編/1906)
 「教育と施設 (No.66秋号)」(文部省大臣官房文教施設部, 文部省教育助政局施設助成課 監修/アウゲ・リプロサービス/1999)
 「再訪茨城の近代建築19 水戸商旧玄関本館」(朝日新聞DIGITAL/2012年04月22日)
 「駒杵勤治技師年譜」(土浦第一高等学校・横島義昭元校長 作成/2019)