旧作新学校本館
長野市立下氷鉋(しもひがの)小学校の敷地に旧作新学校の校舎がある。
この校舎は1883年(明治16)に建てられたものである。2023年(令和5)から全面的な改修工事が行なわれ昨年完了したので、2月に長野市が一般向けの内覧会を開催した。
これが旧作新学校本館。作新記念館と呼ばれている。

一階の窓の位置が変わっていたり腰壁が付けられていたものを、竣工当時の外観に近づけて補修したそうだ。耐震補強工事も行い、学校施設として使えるようになった。
建物の改修に当たっては、2022年(令和4)に住民有志による作新記念館改修委員会を設立し、地域住民を中心に募金を募ってそれを長野市に寄附するという形がとられた。
建物本体とは不釣り合いなほどがっしりした車寄せの屋根。鬼瓦には「作新」の文字が入っている。玄関扉は補修前はガラス戸だったが、明治時代の写真を確認して当初の木製の扉のデザインを再現した。

内部については、当初の姿の再現ではなく学校施設として使えるように作られている。トイレもこのように整備されているし、エアコンも設置されている。

玄関の扉を閉めると内側はこんな状態。壁が白くて明るい。

作新学校の設立は1873年(明治6)年のこと。当時の下氷鉋村など5つの村が設立した学校だった。お寺を仮校舎として開校したが、翌年松代城にあった武器庫を移築してそれを校舎とした。
その後児童数が増えて手狭になってきたため、1883年(明治16)に建てられたのがこの校舎だ。
長野県内に残る明治校舎で建築時期が近いものを挙げると、旧格致学校(坂城町)が明治11年、旧和学校(東御市)が明治12年、旧園里学校(須坂市)が明治16年、旧山辺学校(松本市)が明治18年に建てられた。
1886年(明治19)に学校名が下氷鉋尋常小学校と変わりその校舎として使われてきたが、1956年(昭和31)に学校の隣の工場に譲渡され、移築して利用された。
その後1974年(昭和49)に、小学校創立100周年を記念して旧本館を移築復元し作新記念館として開館した。
1981年(昭和56)には長野市指定有形文化財に指定された。
長野市内の明治時代の洋風学校建築では、県宝である旧長野県師範学校教師館が最も古く、作新学校はそれに次ぐものであり、内部は改変されているものの外観は当初の姿をよく保存しているという理由であった。
1993年(平成5)には資料展示を整備し資料館として使ってきたが、近年は老朽化で立ち入りできない状態だったそうだ。
2階の一室は和室となっている。
小学校の茶道クラブなどで使う予定だという。地域の交流にも使えるだろう。

2階の一番大きな部屋である多目的室は、机と椅子が隣の納戸に収納してあるので授業や会合などに使える。ここは、屋根裏の骨組みを見せるためにあえて天井を張らなかった。

屋根裏の様子。

この写真では分かりにくいが、中央の縦長の板は1883年(明治16)に付けられた棟札である。今回の改修工事で初めて見つかったという。2枚取り付けられており、一方には棟梁や職人の名前が、もう一方には村の戸長や区会議長の名前などが記されている。

1階・2階に展示スペースがあり、資料や説明パネルが展示してある。かつて資料館として整備した時に地元の住民から寄贈してもらった民俗資料もあるそうだ。

今回改修が終わったので、これから学校施設及び地域との交流施設として使われる。
今後も長く使い続けていってほしい。
【参考】
「作新記念館改修記念パンフレット」(長野市/2026年2月)






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