浅野川大橋詰 火の見櫓

写真は登録有形文化財に登録されている浅野川大橋である。
ところでこの写真には橋の他にも登録有形文化財が写っている。

矢印で示したものがそれだ。
2005年(平成17)に登録された「浅野川大橋詰火の見櫓」という。

近づいてみると、形が普通の火の見櫓と少し違う。まるで上半分が未完成のような…。

文化遺産オンラインのサイトによると、この火の見櫓は、1924年(大正13)に建てられ、1971年(昭和46)に改造されたとある。鉄骨造りで、現在の高さは11mだ。市内に現存する最古の火の見櫓だと書かれている。

近くから見上げた火の見櫓。右上の角にたまたま鳥が止まっていたようだ。

櫓の下に登録有形文化財のプレートと説明板があったのに、撮影しないでしまった。
その説明板によると、1971年に上部が撤去されたとある。以前はもっと高かったのだ。(説明板に元の高さは23mと書いてあるのは誤記だと思う。)

過去の資料を探してみよう。
まずは「年表金沢の百年 大正・昭和編」から抜き出す。

「1924年(大正13)11月30日 高さ100尺の鉄塔警鐘台が犀川と浅野川の両大橋詰めに建った。犀川は蛤坂と新道の分岐点、浅野川は森下町巡査派出所脇。」
「1941年(昭和16)4月 犀川、浅野川両大橋詰めの警鐘台が電気サイレンに変り、市庁舎内のスイッチで市庁舎のサイレンと同時に鳴ることになった。」

続いて「金沢市史現代編 下巻」から。
「なお、犀川大橋詰と浅野川大橋詰の二ヵ所に、高さ33メートルの鉄骨警鐘台が建てられたのも、常備消防組の発足と同じ、大正13年(1924)のことであった。」

建てられた時は高さが100尺、あるいは33mあったというのだ。
100尺というと30.3メートルになるはずなので、二つの数字は合っていないが、多分100尺というのはキリの良い数字にしたのではないかと思う。いずれにしろ30メートル級の火の見櫓が市内の二ヶ所にあったのだ。
ただ公式の名称としては、火の見櫓ではなく「警鐘台」と呼んでいたようだ。

浅野川大橋の脇にある火の見櫓はまだ残っているが、犀川大橋の火の見櫓は既に撤去されたらしい。どこにあったのだろう。

〝蛤坂〟と書かれているので場所を確かめたら、空中写真で姿を見つけた。
下の写真(1975年)では、犀川の左に建っている。

といっても分かりにくいので、左下に塔の周辺を拡大して掲載した。白い矢印で塔の先端部分を指しているのだが、分かるだろうか。

塔の上にあった警鐘は1941年にサイレンに置き換えられ、戦後は時報に使ったが、その後はダムの放水警報用になったそうだ。検索したら1993年解体という記載を見つけた。

この記事を書くために調べて知ったのだが、現在犀川大橋の近くに別の警報サイレンが建っているらしい。自分が撮影した写真に写っていないか見返したら、1枚写っているものがあった。

左の黄色い矢印で指した塔が、警報サイレンだそうだ。

話を警鐘台に戻そう。
まだ塔を切り詰める前の写真はないかと探したら、不鮮明だが見つけた。(「金沢市大礼記念要録」)

1928年(昭和3)11月に天皇の即位大礼が行なわれ、それに合わせて各地域で祝賀行事を行なったのだ。金沢市はその記録をまとめて翌年出版した。

それによると、金沢市電気局が11月8日〜26日に犀川大橋と浅野川大橋の2箇所の警鐘台に「万歳」と書かれた垂れ幕を掲示したという。垂れ幕は台形で長さは9mあった。電気局がやることなので、電球と投光器を使って垂れ幕を光らせたのだ。画像の左上には光っている時の写真が添付されている。

この写真が犀川大橋・浅野川大橋のどちらの鉄塔なのか判断できないが、これだけの高さの鉄塔が建っていたのだ。

さらに昭和8年に刊行された「石川県史」には、浅野川大橋と鉄塔が写っている写真があった。

これは下流側から撮影した写真だ。左に警鐘台が見える。

こちらは、私が下流の「中の橋」の上から撮影した写真。90年前とほぼ変わらない橋が見えて楽しい。

石川県史の写真撮影を担当したカメラマンは気合いが入っていたようで、この鉄塔に登って塔の上から写真を撮影している。それが次の写真だ。

写真の説明として次のように書かれていた。
「浅野川大橋の畔に高さ33(メートル)の鉄筋の火見櫓がある。剽軽な写真班は写真機を肩にして揺れながらそれに登った。そして警鐘の下に三脚を立ててレンズを川の下流に向けた結果がこの写真になったのである。」

当時金沢市は防火のために屋根の葺き替えを励行していたらしいが、この写真には板葺きに石を並べて押さえた屋根が多く写っている。

左側に「中の橋」が写っているが、前の記事で書いたように1953年の洪水で浅野川大橋以外の橋は流されてしまったので、この橋は現在ある橋ではない。上の写真を見ると橋脚は木造だが、今の橋脚は鉄筋コンクリート製だ。

今回の記事を書くために調べていったらいろいろな材料が出てきて、過去と現在がつながっていって面白かった。

【参考】
「金沢市大礼記念要録」(金沢市/1929)
「石川県史 第五編」(石川県編/石川県/1933)
「年表金沢の百年 大正・昭和編」(金沢市史編さん室編/金沢市/1967)
「金沢市史現代編 下巻」(金沢市史編さん審議委員会編/金沢市/1969)

土木建造物

Posted by Sakyo K.