旧茨城会館
これは茨城会館という建物だ。
現在茨城県三の丸庁舎の南側に茨城県立図書館が建っているが、その場所にはかつてこの建物があったのだ。

昭和の始め、茨城県の公会堂としては1914年(大正3)に水戸市三の丸に建てられた茨城県物産陳列館があった。二階ホールを公会堂として利用していたのだ。
ところが、1929年(昭和4)5月7日に火災で焼失してしまった。この時は茨城美術展の開催中で作品も多くが焼失してしまったそうだ。
そこで県庁舎の南側にこの会館を建てることになった。1931年(昭和6)12月の県議会で建築が認められ、1933年11月着工、1935年4月に竣工した。鉄筋コンクリート造3階建で、1階には食堂や会議室、貴賓室、県教育会事務所、教育会図書室などがあり、2階が大ホールとなっていた。
正面の姿はこちらの写真が分かりやすい。(「水戸市史下巻2」より引用)

当時開催された行事の記録に図が掲載されていたので、館内の様子が分かる。
こちらは1階。1937年に消防協会茨城県支部の検閲式が開催され、その記録にこの図があった。(皇族が参加したので、準備の段階から細かく記録がまとめられている。)

このように1階のスペースはほとんどが教育会が占めており、この会館は教育会の会館という位置づけでもあった。なので茨城県教育会会館と呼ばれることもあった。
会館の総工費は24万円ほどで、そのうちの15万円は水戸市からの寄付5万円の他、諸団体から寄付金を充当した。その多くは県内教員からのものだったそうだ。
2階の平面図は別の文書で見つけた。

大ホールは、3階の362席を含め全1134席が設けられていたという。
ただ、この会館が建てられた1935年は戦時教育が強まってきた頃である。ホールでは美術展や集会など一般のイベントばかりでなく、戦意高揚のための展示や集会も行なわれるようになっていった。大政翼賛会の集会や戦死者の合同葬儀(会館だけでなく他の場所でも実施された)、満蒙開拓義勇軍の壮行会等も開催された。
1945年8月2日の水戸空襲で、茨城会館は大ホールなど内部を焼失した。
終戦直後、映画館や劇場は全て被害を受けたので、茨城会館を補修して各種行事に利用した。分かる範囲では1945年の12月に水戸市の主催で戦災者慰問演劇大会が開かれたことが記録にある。
その後1949年に復旧工事が完了し、大ホールは舞台芸術や各種集会、展覧会、成人式など幅広く利用された。
そうやって戦後も20年ほど利用されてきた会館だが、1966年に茨城県立県民センターが開館するのと同時に休館になり、1969年1月に解体された。
解体前の姿が空中写真で見られる。矢印で示した建物が茨城会館だ。

解体後、跡地には1970年(昭和45)に県議会議事堂が建設された。
県議会議事堂は1999年(平成11)に移転したため、建物は改修されて2001年に茨城県立図書館として開館した。

それにしても図書館の表示よりコーヒー店の表示が大きいのはなぜなのだろうと思う。

【参考】
「茨城県大百科事典」(茨城新聞社編/茨城新聞社/1981)
「水戸市近現代年表」(水戸市史編さん近現代専門部会編/水戸市/1991)
「水戸市史 下巻2」(水戸市史編さん近現代専門部会編/水戸市/1995)






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