1873年(明治6)
上田街学校開校。藩校の伝統を受けつぐ松平学校に対し、平民の子弟の教育の場として開校した。当初は本陽寺を仮校舎としていた。
	1878年(明治11)
明治天皇の北陸巡幸にあたって、上田が宿泊地となっていた。宿泊地となる適当な建物がなかったため、校舎を建設してそれを行在所とした。9月7日、明治天皇一行が宿泊。11月に開校式を行なった。
	
	1886年(明治19)
町内の4校を合併し、上田学校とする。上田街学校の校舎は上田分教場となる。
	
	1889年(明治22)
上田尋常小学校に改称され、上田分教場女子部となる。
	1895年(昭和48)
上田尋常高等小学校に改称。
	1898年(明治31)
3月27日夜、火災により上田分教場女子部焼失。校長の久米由太郎は数日後に自決してしまう。
	
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