1963年

前回に引き続き、アリゾナ州の建物のポップアップカードを制作した。
今回はバーミングハムの建物を選んだ。モデルは16番街バプティスト教会だ。

教会は1873年に、バーミングハムで最初の有色人種バプティスト教会として設立された。
現在の建物は1911年に建設されたものである。

1960年代の公民権運動では人種差別に抗議する活動拠点であった。
1963年9月15日に、クー・クラックス・クランのメンバーが教会に爆弾を仕掛け爆発させた。教会にいた4人の少女が死亡し、22人が負傷した。

1963年は、南部の公民権運動に関して重要な出来事が起こった年なので、その前後のことをみてみよう。

(1)ミシシッピ大学暴動(1962年9月30日〜10月1日)
 黒人男性ジェームス・メレディス(James Meredith)はミシシッピ大学への転入を願い出たが、学校そしてミシシッピ州知事(ロス・バーネット Ross Barnett)に却下された。ケネディ大統領は入学を実現するために知事と交渉したが成果がなく、連邦職員が付き添ってメレディスと大学を訪れた。
その際にキャンパスで暴動が発生し、連邦職員や記者らが襲撃された。
 ケネディは軍隊を派遣してこれを鎮圧させた。この暴動と連邦政府の取締は公民権運動の転換点となった。

(2)バーミングハム運動
アラバマ州のバーミングハムは黒人差別の激しい街だった。黒人たちは差別撤廃のために非暴力による抗議活動を行なった。シットイン(公共施設での座り込み)やデモを行ない、5月初めまでに逮捕者の数は3000人以上となった。
5月2日から子どもたちが抗議に参加し、6歳から16歳までの6000人がデモ行進をした。
翌日、その行進に対して警察が警察犬を放ち、消防士が放水をして子どもたちを吹き飛ばした。この様子がテレビで放送され、批判が高まった。

(3)ケネディの発表(1963年6月11日)
ケネディ大統領はテレビで「公共施設においてすべてのアメリカ人にサービスを受ける権利を保障する法案を提出する」と発表した。人種分離を禁止し、人種差別を行なった地方事業への補助金を取り止め、6年制教育を終えたすべての市民に投票権を保障するというものだ。

(4)エヴァース暗殺(6月12日)
ミシシッピ州で黒人の地位向上のために活動していたメドガー・エヴァースは、(1)のメレディスを支援した人物でもある。ケネディの放送の翌朝、白人が彼を暗殺した。
犯人は逮捕されたが、白人の陪審員は彼を無罪にした。
(ただし、1994年になって再び訴訟が起こされ、そこで有罪になった。)

(5)ワシントン大行進(8月28日)
公民権運動かたちは、ケネディ大統領の提案する公民権法案の可決を求め、ワシントンDCで大規模な行進を計画した。
25万人が参加する大規模なデモとなった。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが「I have a dream」の演説をしたのはこの時である。

(6)16番街バプティスト教会爆破事件(9月15日)
ケネディの公民権法案に対し、南部では白人テロリストの暴力行為がさらに激化した。
9月、バーミングハムのKKKのメンバーが教会に爆弾を仕掛け、黒人女子生徒4名が死亡、22人が負傷した。

(7)ケネディ暗殺(11月22日)
アフリカ系アメリカ人の権利を保障する法案を議会に求めていたケネディ大統領が、テキサス州のダラスで暗殺された。

(8)公民権法成立(1964年7月2日)
ケネディーの死後大統領となったジョンソンが公民権法案の通過を訴えた。2月に下院を通過したが、南部民主党は頑強に反対をし、500以上の修正案の提出、議事妨害のための長時間の演説をした。6月19日に上院を通過し、7月2日に大統領の署名が行なわれた。

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公民権法は成立し、黒人の参政権は保証されるはずだった。
しかし、南部では黒人の投票登録を妨害する動きが強く、多くの黒人が登録できないままだった。
投票権の獲得を求めて行われた行動の一つが、1965年のセルマからモンゴメリーへの行進であった。

なお、16番街バプティスト教会爆破事件については、2013年にも追悼行事があった。
事件から50年後の2013年、事件の犠牲者を追悼する「フォー・スピリッツ」像が、教会の斜め前の公園に建てられたのだ。

【参考】
「アメリカ黒人の歴史」(ジェームス.M.バーダマン著・森本豊富訳/NHK出版/2011)
「アメリカ黒人の歴史 増補版」(上杉忍/中公新書/2024)