ポップアップカード:アラバマ州モンゴメリー

前回に引き続き、アラバマ州のポップアップカードを作った。
今回はアラバマ州の州都モンゴメリー(モントゴメリーと表記されることもある)の建物を選んだ。

最初のポップアップカードは、デクスター・アベニュー・バプティスト教会だ。

教会は1877年にモンゴメリーで2番目の黒人バプティスト派教会として設立され、現在の建物は1889年に完成した。
この教会は、キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)が大学院で学んだのち1954年に牧師に就任したところだ。州議会議事堂のすぐ近くにある(末尾の地図参照)。
キング牧師はこの教会を中心にバスボイコット運動(1955~56年)を指導した。
現在は「デクスター・アベニュー・キング・メモリアル・バプティスト教会」という名前になっている。

2つ目のカードは、ファースト・バプティスト教会だ。

この教会は南北戦争後の1866年に設立されたのだが、それ以前からファースト・バプティスト教会という教会は存在していた(現在もある)。奴隷制時代は黒人もその教会に通っていたのだが、黒人はバルコニーにしか入れなかったのだ。
1866年にモンゴメリーでも奴隷解放宣言が認められ、700人の黒人市民が、既存のファースト・バプティスト教会から独立するという形でこの教会を設立した。これがモンゴメリーで最初に設立された黒人バプティスト派教会だという。

1867年に建てられた建物は後に火災で焼失してしまったので、1910年から15年にかけて再建されたのが現在の教会である。
この時信徒にレンガを持ち寄るよう求めたので、「Brick-a-day Church」というニックネームでも呼ばれるようになった。

1950~60年代には教会は公民権運動の拠点となった。その中で次のような事件も起こった。

1961年、「フリーダム・ライダース」という活動が公民権運動の中で始まった。
当時、市営バスはなどは市や州の法律で運営されていたが、州と州を結ぶ州間運行バスは連邦法のもとで運営されていた。州間運行バスは、北部では黒人も白人も自由に着席できたが、南部では座席が隔離されていた。
その状態を確認・抗議するために、運動家たち(黒人も白人もいる)は自由に座席に座って移動し、休憩所のベンチやトイレなども人種の区別に従わずに使用するという行動を起こした。
しかしこの活動は白人たちの襲撃を受けることになったのだ。
モンゴメリーのバス停で暴行を受けたフリーダム・ライダーズは、ファースト・バプティスト教会に避難した。キング牧師が彼らを励ます集会で演説したが、教会を3,000人の白人が取り囲み、FBIとアラバマ州兵が出動するまで15時間閉じこめられてしまったのだ。

3つ目のカードはアラバマ州議会議事堂だ。

前回の記事で、1965年3月のセルマからモンゴメリーへの行進のことを書いた。
投票権の獲得を求めて3月7日に行なわれた抗議の行進は、警察に弾圧されて「血の日曜日」事件と呼ばれた。
2日後の行進は裁判所に差し止められ短縮されたが、3回目の行進が行われた。
行進者は3月21日にセルマを出発し80km以上を歩いてモンゴメリーを目指した。途中、車線数の少ない道路では人数制限をされたが、3月24日にはバスや車で来た人たちが行進に加わり、夕方には数千人となった。

3月25日にアラバマ州議会議事堂に到着したときには、25,000人が集まったという。
キング牧師がここで「How long, Not Long」のフレーズで知られる演説をした。

「いつまでかかるのか?
『偏見はいつまで人々の視野を曇らせ、理解を暗くし、明るい目をした知恵を神聖な玉座から追いやるのだろうか?』
『セルマやバーミンガム、そして南部全土のコミュニティーの街路にひれ伏している傷ついた正義は、いつになったらこの恥ずべき塵から解き放たれ、人の子らの間に君臨するようになるのだろうか?』 と誰かが問いかけている。
(…中略…)
私は今日の午後、あなたたちに伝えに来た。どんなに困難な時であろうと、どんなに苛立たしい時であろうと、そう長くはないと。なぜなら地に砕かれた真理は再び立ち上がるからだ。
いつまで?長くはない。どんな嘘も永遠には生きられないからだ。
いつまで?長くはない、蒔いた種は刈り取られるからだ。
いつまで?長くはない。道徳的宇宙の弧は長いが、正義に向かって曲がっているからだ」。

投票権法はまもなく議会を通過し、8月6日にジョンソン大統領が署名して発効した。

【参考】
「アメリカ黒人の歴史」(ジェームス.M.バーダマン著・森本豊富訳/NHK出版/2011)
「アメリカ黒人の歴史 増補版」(上杉忍/中公新書/2024)
How long, Not long」(wikipedia /2025ー01ー28閲覧)