ポップアップカード:アラバマ州セルマ

このポップアップカードは、アメリカ合衆国アラバマ州のセルマにあるエドマンド・ペタス橋だ。
橋は長さ380.4mで11スパンあるのだが、中央の1スパンが鋼鉄製で、ほかの10スパンは鉄筋コンクリート製だ。

このカードでは中央部の1スパンだけを作成した。

橋は1940年に完成した。橋の名前は、1897年から1907年まで上院議員を務めたアラバマ州出身のエドマンド・ペタス(1821-1907)の名にちなんで名づけられた。

この橋は1965年3月の「血の日曜日」事件の現場として知られることになる。

合衆国では1964年に公民権法が成立した。黒人の選挙権の保障、人種や出身地などによる差別の禁止を実現するはずの法律だった。
しかし、各地で黒人が選挙登録をしようとすると様々な妨害が行なわれた。セルマでは有権者登録ができた黒人は2%くらいだったそうだ。
1965年2月、セルマで投票権の拡大を訴えるデモを行なっていたところ、黒人青年が警官に射殺された。これに抗議をするためにセルマから州都モンゴメリーまでの行進が計画された。
3月7日、デモ参加者500人がペタス橋を渡ったところ、橋の向こう側では警官隊が待機していた。
警官隊は催涙ガスを使用し、参加者だけでなく沿道にいた女性や子どもに対しても棍棒で殴打し、多数の負傷者が出た。

この現場はテレビで放映され、新聞や雑誌にも写真が掲載されて、セルマの投票権運動への支持を呼び起こすことになった。各地の牧師や知事、州議会や労働組合などから非難の声が寄せられたのだ。デトロイトで10,000人、ニューヨークでは15,000名が参加するデモが行われるなど、各地で抗議活動があった。

2日後に行われた2度目の行進は、連邦裁判所が差し止め命令を出したため行進を短縮したのだが、3月21日には3回目の行進が行われた。
この時は3200人がモンゴメリーに向かい3月24日に到着した。翌日アラバマ州議事堂で行われたデモには、25,000人が参加したという。
その後まもなく投票権法が議会を通過し、8月6日にジョンソン大統領が署名して発効した。

さて、二つ目のポップアップカードだ。
このカードは、AME教会ブラウン・チャペルをモデルにして作製した。
AME教会は、アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会(African Methodist Episcopal Church)の略称だ。

この教会は、公民権運動の集会が行なわれ、上で書いたセルマからモンゴメリーまでの行進の出発点となった場所である。

現在の建物は1908年に建てられたもので、1976年にアラバマ州の、1982年に国の歴史建造物に指定された。
しかし近年は雨漏りや傷みが発生し、2022年には歴史保存のためのナショナルトラスト(National Trust for Historic Preservation)が「アメリカでもっとも危機に瀕している場所」のリストに掲載した。
現在は保存修理が行われているようだ。2022年12月のストリートビューでは、教会の周囲に足場が組まれ作業中であった。(修復が完了したかどうかは未確認。)

最後に、ペタス橋の話題に戻そう。橋の名前についてである。
橋の名前のもとになったエドマンド・ペタスは南軍の将軍であり、アラバマKKKの指導者でもあった。奴隷制と人種差別を支持した人物のため、橋の名を変更すべきだという意見が出されてきた。
近年では2022年4月にアラバマ州議会で改名の法案が提出されたが、上院は通過したものの下院を通過しなかったようだ。
アラバマ州は、歴史的記念碑を撤去することを禁止する法律を2017年に制定していた。改名はこの法律に抵触するのだという主張もあった。
実はこの法律は、他の都市で南軍の将軍の銅像を撤去する議論が行なわれている時期に制定されたという。奴隷制度を維持しようとした南部連合の旗や像、記念碑をどうするのかは各地で議論になっているようだ。

【メインサイト】
 ・エドマンド・ペタス橋
 ・A.M.E.教会 ブラウン・チャペル

【参考】
「地球の歩き方 アメリカ南部 2019~20」(ダイヤモンド社/2019)
Attempt to change Edmund Pettus Bridge name fails in state session」(英語記事)(SELMA SUN のニュース / 2022-04-15)