ポップアップカード:サントドミンゴの建物
1492年12月5日、クリストファー・コロンブスが、現在のイスパニョーラ島に到着した。先住民は彼らを神の使いと思って歓迎した。
島の北岸に砦を建設し、志願した部下39人を残し、コロンブスはスペインに戻った。
1493年の第2回航海は、17隻の大船団に一獲千金を夢見る千数百人の乗客を乗せて出発した。
島に到着したところ、北岸の砦は破壊され、部下は全員死亡していた。スペイン人の暴虐に耐えかねた先住民が反乱を起こしたのだった。
コロンブスは、東に数マイル離れた位置に新しい町(ラ・イサベラ)を建設した。
1496年、コロンブスの弟のバーソロミューが南海岸に入植地を設立し、そこが首都となった。
しかし1502年にハリケーンによって町が破壊されたため、新総督となったニコラス・デ・オバンドがオサマ川の西側に町を移転した。これが現在のサントドミンゴである。
それから数十年の間、サントドミンゴは新大陸探検や征服の拠点となった。中世の建造物が残されているこの地域は1990年に世界遺産に登録された。
今回のポップアップカードは、そのサントドミンゴ旧市街にある建物から二つを選んだ。
こちらは、ニコラス・デ・オバンドが建設を命じたオサマ砦の敬礼の塔である。海賊達から町を守るため、オサマ砦は1505年から1507年にかけてオサマ川のほとりに建造された。
オバンドの次に総督になったのは、コロンブスの長男ディエゴである。1509年に就任したディエゴは、1510年から1514年にかけて自分の邸宅を建造した。
それがこのアルカサル・デ・コロンである。
ポップアップカードはホワイト版とともに、カラー版も作成した。今回はこのアルカサル・デ・コロンの型紙を3種類公開した。
植民都市は栄えたが、スペイン人は先住民を鉱山労働などで酷使したり虐殺し、ヨーロッパ人が持ち込んだ疫病の被害もあって、先住民の人口は激減し滅亡へと向かっていく。
先住民の人口が減ると、1508年~13年には、バハマ諸島などから4万人のインディオが連れてこられた。さらにその減少後は、アフリカから黒人奴隷が導入された。
そんな歴史を見ると、今回のポップアップカードは作っていてもあまり気分は良くないのである。
16世紀の終りになると、先住民達はほとんど絶滅し、この土地の金や銀を使い果たしたスペイン人は豊かな大陸に目を向けるようになる。サントドミンゴは衰退していくのだった。
【メインサイト】
・オサマ砦 敬礼の塔
・アルカサル・デ・コロン
【参考】
「ドミニカ共和国を知るための60章」(国本伊予編著/明石書店/2013)
「地球の歩き方 キューバ・バハマ・ジャマイカ・カリブの島々」(ダイヤモンド・ビッグ社/2018改訂15版)
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