水が少ない山清路(2)

展望台から先、まだ散策路は上り続ける。
先ほど見た案内板によると、散策路は「こうもり岩」の近くで行き止まりになっているが、それより手前で右に下る道が分岐していて、国道に出ることができる。

右側に手摺りがあるのが見えた。あれが下りの道だろう。

ここから下り始める。結構急な坂だ。ゆっくり下りていく。

写真の中央に見えるのは「水神岩」と呼ばれる岩。あの岩の中をくり貫いて車が通れるようになっている。窓のように見える部分は、トンネルの出入り口を落石から保護する洞門だ。新山清路橋ができる前はここが国道だった。
すぐ手前に見える屋根は、散策路の途中にあるお休み処。

お休み処に到着した。でも休まずに下る。

国道が見えた。なんかいかにも裏口という感じだ。
急坂になるので、管理者としてはこちらから登ることは推奨していないのかもしれない。立て札になんと書いてあるか確認し忘れた。

国道に出て東へ歩いていくと山清路橋が見えてきた。もう一度橋を渡り、今度は右へ進む。

橋を渡り終えて右へ曲がったところで振り向いて、山清路橋の姿を改めて撮影。この橋ができる前は、ここに木造の橋が架けられていた。

西に歩くと、石碑や地蔵尊が立っていた。奥に見えるのは洞門(ロックシェッド)だ。

地蔵尊は、トンネル工事や国道工事で亡くなった方、それからその後交通事故で亡くなった方を慰霊するために立てられた。しかし1964年の大雨洪水で流されてしまったのだ。1989年に再建された。…ということが地蔵尊の右にある石碑に書かれている。

その石碑は平成元年(1989)に建てられたようだが、実は平成16年(2004)にもこの場所で土砂災害が起こり、地蔵尊が被災したという。しばらく安置場所が決まっていなかったのだが、2022年に再び安置して6月に建立式を行なったそうだ。
これは、生坂村の村長さんのブログで知ったことである。

過去の事故の記録については信毎年鑑のまとめを見たが、1949年10月に山清路の国道トンネル工事で火薬爆発事故により4名が亡くなったことと、1950年1月には山清路でバス転落事故があり4名が亡くなったという記録を見つけた。

現地の石碑や説明板の情報はあくまで建てた時の情報だし、内容も簡潔に書かれるから、歩いただけでは分からないことが多い。

右側の大きい石碑には、犀川線開通記念碑と彫られている。近くに説明板が立てられており、次のように書かれていた。

犀川線開通記念碑
大正九年犀川沿線の中手川村より水内村まで十三か村により、犀川線期成同盟会が結成され、昭和二年起工し記念碑が木戸に建つ。昭和五年木戸橋、六年睦橋竣工。以来生坂村内の新道路が次第に開削、九年山清路橋竣工、十三年五月山清路で犀川線開通式、同記念碑除幕式が歴代知事、県会議員、村長他三百余名集まり挙行された。裏面に関係した知事、県会議員、十三か村の歴代村長名などが刻まれている。この碑は国道拡張により倒されていたが、昭和六十三年十二月対岸より移転し再建、平成元年三月式典が挙行された。
平成九年一月 生坂村教育委員会

あれ? ここにはきちんと山清路橋竣工は昭和9年と書いてあるじゃないの。なんで橋の方には昭和6年と書いたのだろう。(修復工事が終わってから付けられたプレートのこと)

上の写真には写っていないが、記念碑の右側にもう一つ石碑があり、記念碑が工事で移転されしばらく放置されていたこと、その後再建されたことが書かれていた。(その石碑の建立は1989年)

洞門の前にやって来た。扁額には山清路2号洞門と書かれている。

洞門は岩をくり貫いたトンネルの手前に造られている。
そして、右側の明かり取りから出ると、岩を回り込む道がある。トンネルを掘る前はこちらが道路だったのだろう。

そこに出ると、案内板が立てられていた。1987年に長野自然100選に認定された記念に山清路伝説を書いて立てたらしい。ただし案内板自体は2020年に改修したものなので新しい。

西側に出ると、トンネルの前にやはり洞門があり、山清路1号洞門と書かれていた。

少し先には車止めがあり、国道沿いは駐車場となっている。この日は工事関係の車両が駐車場を使っていたので、私はここで終りにした。

最後の話題。
遊歩道の案内板に、見どころの写真が何枚か掲載されている。

この5番の写真は「島台の松」といい、新しく作られた山清路大橋の脇にある。松が水面に浮かんでいるかのようだ。
しかし現在は水位が下がっているのである。どのようになっているのか、山清路大橋まで戻って確認しよう。

案内板の写真は空中から撮影しているので同じ角度では見えないから、形が分かりやすい方向を探して橋を渡った。

ズームアップ。

細長い岩が立っていた。水が貯まるとこれがまた島になるんだねえ。発電所の工事は来年の7月頃終わるそうなので、それまでは今の状態が続く。

おまけ。2021年撮影の写真。

【参考】
「信毎年鑑1951年版」(信濃毎日新聞社調査出版部編/1951)
山清路地蔵尊建立式&山清路の風景」(2022.06.09) 生坂村村長さんのブログ

土木建造物

Posted by Sakyo K.