犀川大橋

金沢建築館の見学を終えて、外に出たところだ。
写真は、建築館の玄関前から伸びている歩道。

もしかしたら行き止まりかもしれないと思ったけれど、確かめようと思いこの道を歩いてみた。

そうしたら、歩道は階段になってどんどんと下っていく。建築館の敷地とその裏側の土地には予想したよりも高低差があるのだ。7~8mくらいだろうか?

下には何か分からないがレンガ造り風の建物があった。新しいそうな印象だったのでそちらは確認しなかったが、あとで検索したら、1998年くらいにオープンしたウエディングチャペルらしい。一時は美術館のようにステンドグラスを公開していたらしいが閉館し、経営者が替わって結婚式場として2021年に再オープンしたそうだ。

この川は犀川という。長野県民なので信濃川の支流の犀川を思い浮かべてしまうが、金沢にも犀川があるのだ。
川沿いの道は、金沢出身の作家・室生犀星にちなんで「犀星のみち」と呼ばれている。室生犀星の「犀」は犀川の犀に由来していたんだね。

下流側を眺めると、向こう側に水色の橋が見える。あれが犀川大橋だ。1924年築というから、もう100年も経つ道路橋である。

いま道路橋と書いたが、かつては金沢市内を走る路面電車もこの橋を渡っていた。1931年(昭和6)に出版された「中部日本大観」に写真が掲載されているが、そこには路面電車の軌道が見える。
なお、路面電車は1967年(昭和42)に廃止された。

だんだんと橋に近づいている。

橋桁が微妙に波打っているように見えると思うが、橋が歪んでいるわけではない。

このように歩道部分に膨らみを持たせてあるのだ。川の風景を眺める展望場所ということなのだろう。

左岸から見た犀川大橋。
橋を渡って右岸に行ってみよう。

右岸には、このような説明板が設置されていた。

説明板では、橋の歴史を大きく3つに区切って説明している。

1)木橋時代(1594〜1918)
1594年(文禄3)に加賀藩主前田利家が橋を架けたのが最初だという。洪水で流される度に修理や架け替えが行われた。

2)鉄筋コンクリート橋時代(1919〜1922)
市内電車の路線を延長するために1919年(大正8)に鉄筋コンクリート製の橋が完成した。
ところが、1922年8月の豪雨により犀川が増水し、橋は流されてしまった。
当時の書籍に写真が掲載されていたので引用する。

写真が小さくて分からないと思うが、右下の写真は、流失する直前(この本の説明によると10分前!)の写真である。水が橋桁まで来ているのに橋の上から見ている人が多いのが怖い。

3)鉄橋時代(1924〜現在)
1924年(大正13)に完成した鉄橋は、関場茂樹(1876-1942)の設計によるものだ。
何回かの補修工事や塗装工事が行なわれ、現在も使われている。
2000年(平成12)に国の登録有形文化財に登録された。

この説明板は、2009年(平成21)3月に設置されたものである。

説明板の立っている前から撮影した犀川大橋。
昨年、架橋100周年を祝して犀川大橋百寿祭が開催されたそうだ。

土木建造物

Posted by Sakyo K.