浅野川大橋
2000年(平成12)に犀川大橋が登録有形文化財として登録されたのだが、同時にもう一つの橋も登録された。
それが浅野川大橋である。

最初に橋が架けられたのは、1594年(文禄3)のことだ。
明治に入るまでに少なくとも10回は修復や架け替えが行われたという。
現在の前の橋は、1904年(明治37)8月に渡橋式が行われたという記録があるので、この時に架け替えられたということになる。
では現在の橋について見ていこう。現在の橋は路面電車と自動車を通す橋として造られた。

1919年(大正8)に金沢市内の路面電車の運行を開始した金沢電気軌道は、1922年に犀川の南側と、浅野川の北側に路線を延伸した。
7月に浅野川の北側の軌道が完成し、浅野川大橋が完成した12月に、川の右岸と左岸が軌道で結ばれた。
なお、1922年8月には洪水が発生し、犀川・浅野川両河川で多くの橋が流された。鉄筋コンクリート造りの犀川大橋が流されたのはこの時だ。
浅野川大橋は工事中だったため流失を免れた。

橋の南側。
レンガの構造物は、1993年(平成5)に建てられたもの。1989年(平成元)に補修工事をして大正時代の姿を復活させた事業が表彰された記念として建てられた。

橋の上から上流側を眺めている。
浅野川大橋の路面電車は1966年12月に廃止されバスに転換し、橋は道路橋となった。
(金沢市内線の全ての路面電車が廃止されたのは1967年2月。)

右岸(北側)から見た橋。
1943年、戦時中の金属供出のため県土木課は、浅野川大橋など8つの橋の高欄や照明など金属部品を撤去した。上に書いた1989年の復元工事というのは、それらを復元し、レリーフを復刻した工事である。同時に橋の上の電線などは歩道に埋設して景観を整えた。
橋の側面に付いているのが復刻したレリーフである。

戦後の浅野川の災害にも触れておく。集中豪雨による大きな洪水が1953年(昭和28)8月24日に発生した。この時浅野川では、浅野川大橋以外の橋が全て流失した。堤防決壊により1870haの土地と7000戸の過酷が浸水したという。その後浅野川の本格的な河川改修が行われた。まず上流の護岸整備を行ない、その後1960年には用水堰の完成など、市街地の工事を進めた。更に1974年には上流に浅野川放水路が完成し、犀川に放水することができるようになった。
橋に話を戻そう。
浅野川大橋は、2000年(平成12)には国の登録有形文化財に登録された。
右岸の親柱(上流側)。登録有形文化財のプレートと、「大正11年十二月竣工」のプレートが付いている。

観光客の増加に伴い歩行者と車の接触の不安が増したので安全性を向上させるため、2016年(平成28)に歩道を広げる工事を行なった。車線を少し狭くして、その分歩道の幅が50cm広がった。
2022年には完成100周年を祝い、セレモニーが行われた。

そして橋の北側と南側、両方の親柱に、100周年のプレートが取り付けられた。
こちらは北側の親柱(下流側)。
下流側から見た浅野川大橋。

1922年竣工
鉄筋コンクリート造3連アーチ橋、橋長55m、幅員17m。
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