大手橋(木曽川)
2002年に土木遺産に選奨された「中島武設計のRCローゼ桁群」について以前記事を書いた。
長野県内の5つの橋(大手橋、姫川橋、親沢橋、昭和橋、栄橋)のうち4つは訪問済みで残すは大手橋だけだ。(ただし姫川橋は見ただけで私はまだ渡っていないが。)
今回、木曽町にある大手橋を見に出かけた。
写真は、隣の中央橋の上から眺めた大手橋。大手橋と中央橋は150mくらいしか離れていない。
橋の場所を地図で示す。
大手橋は1936年に完成した橋で、土木遺産に選奨された5橋の中では最初に作られた橋だ。
現在は木曽郡木曽町となっているが、建設当時は西筑摩郡福島町だった。(西筑摩郡は1968年に木曽郡に名称変更。)
橋の南側にやって来た。
橋長は34.3m、幅員は5.5mだ。
橋の右側に説明板が立てられている。
説明を引用する。
「中山道から代官屋敷へ渡る橋で『お屋敷前橋』と言われていたが明治になって大手橋と名づけられた。明治以降二度の洪水により流失し、昭和11年(1936)工学博士中島武氏の設計により世界最初の鉄筋コンクリートローゼ桁橋として架けられ、平成14年、土木学会選奨土木遺産として認定されている。」
説明板にある写真は、大手橋の新踏式(大正2年)のものと書かれていた。先代の橋ということになるのだろう。
左側には「土木遺産」のプレートが取り付けられている。
川沿いに人が歩けるだけの小道があり、川岸に降りられるので、下から橋を撮影した。
これは上流側から橋を見ている。
橋の底面は、時期は分からないが後で鉄骨で補強されたようだ。
上に登り、今度は下流側から橋を眺める。
下流側には鉄骨で歩道が造られている。
この歩道を歩いて対岸に渡る。
北側から見た大手橋。
次の写真は、川沿いに少し歩いて上流側から撮影したもの。
錆や亀裂が見えた。
最後の写真は別の話になる。
これは橋を渡る前に南岸から撮影したものだが、木曽教育会館である。
教育会館は大手橋が完成した翌年の1937年に竣工した。
今まで設計者の名前を見たことがなかったのだが、今回たまたま資料を見つけた。
木祖村立木祖中学校(1947年開校)のサイトに「木祖中学校50周年沿革誌」の一部が掲載されている。校舎建築の棟梁だった斎藤今朝次郎氏からの聞き書きに次のような言葉があった。
「(校舎の)設計は、県の建築課の技師の池田又次郎氏で、この人は、木曽教育会館とか、楢川国民学校とか、当時学校連築ブームで田立の学校も建築が始まっており、これらの総べてを設計した人で、私も懇意にしておった。」
この記述から、木曽教育会館の設計者は県の技師、池田又次郎であったことが分かった。
斎藤氏は教育会館の建設も主任棟梁として担当したそうなので、間違いはないだろう。
橋の話題に戻す。
大手橋の訪問をしたので、土木遺産に選奨された中島武設計の5橋の訪問は終えたわけだが、冒頭に書いた通り、姫川橋は工事中だったので私はまだ渡ることができていない。
補修工事は2025年1月に終了するそうなので(予定)、来年の春あたりに再訪を考えている。
【関連記事】
「昭和橋(1)」(2024-09-29)
「昭和橋(2)」(2024-09-30)
「親沢橋」(2024-10-03)
「栄橋」(2024-10-12)
【参考】
「校舎建築の思い出」木祖中学校50周年沿革誌(平成10年3月発行より)(木祖村立木祖中学校サイト)
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