栄橋
2002年に土木遺産に選奨された、長野県にある中島武設計のRCローゼ桁群について。
選奨されたのは5つの橋だが、その一つ「栄橋」を確認しに行った。
栄橋があるのは、南佐久郡佐久穂町だ。
この橋は千曲川を渡るために東西に架けられており、西側の脇にある駐車場には説明板が立てられている。
その説明に従って、栄橋の歴史を記そう。
橋の名前は、明治から昭和まで存在した「栄村」に由来している。
1889年(明治22)に発足した栄村は、1950年に海瀬村と合併して佐久町となり、さらに2005年に八千穂村と合併して現在の佐久穂町となった。
ここに橋が最初に掛けられたのは、確認できる範囲では1899年(明治32)である。その後補修や架け替えが行われてきた。
1915年には鉄道が羽黒下駅まで開通し、栄橋は地域にとってますます重要な役割を果たしていく。
1920年(大正9)には吊橋が架け替えられたようだ。11月に行われた落成式の写真が説明板に載っている。
その吊り橋が老朽化したために1938年(昭和13)に架けられた鉄筋コンクリート造りの橋が、今の栄橋だ。
戦時中には金属回収で橋名板や照明器具が撤去されたそうだが、2012年~2014年に行われた補修工事で、架橋当時に近い姿を取り戻した。
〔補足〕
上の文は説明板に従って書いたが、1891年(明治24)に最初の木橋が架けられたという記録もあるようだ。いずれにしろ、水害等で何度も架け替えられているらしい。だからこそ永久橋が望まれたのだ。
では橋を渡っていこう。
橋の手前には立派な親柱が並んでいる。向って右側には「千曲川」、左側には「栄橋」のプレートが付けられている。
橋の幅は7.4m、有効幅員は6mだ。
右側に「土木遺産」のプレートが設置されている。
千曲川の上流側の景色。
こちらは下流側。遠くに見える橋は、450m離れている八十巌橋だ。
このあたりの地名は「宿岩」なのだが、漢字表記が異なる。すぐ近くの国道141号線に宿岩橋という橋があるので、そのために漢字を変えたのではないかと想像する。
栄橋を渡り終えると、東側にも親柱が立っている。
写真の右側の親柱には「さかえはし」、左側には「昭和13年竣工」のプレートがあった。
右岸沿いに歩いて、橋の全景が収められる位置で撮影。
戻って再び橋を渡る。歩道はないので車が通る時は端に寄って立ち止まって待った。
左岸には小さな公園がある。
橋の下も覗いてみよう。
鉄筋コンクリートの桁に、鉄板で補強がされていた。2012年からの補修工事で設置されたものなのだろうか。
向こう側まで補強の鉄板があるのが見える。
川沿いは草が生えていて歩くにくかったのでここまでにして上に道路に戻った。
以前も書いたが、長野県内で現存している中島武設計の橋は次の5つだ。
・大手橋(木曽町)1936年竣工
・親沢橋(小谷村)1937年竣工
・昭和橋(坂城町)1937年3径間のみ竣工
・栄橋(佐久穂町)1938年竣工
・姫川橋(小谷村)1939年竣工
これらの橋の中で、これだけ立派な親柱が設置されているのは栄橋だけだ。
これは県内最大級のものであるという。
他の橋を見ると中島は親柱を全く重視していなかったように思える。
栄橋については、地元から親柱が欲しいという要望があったのだろうか。
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