竜西一貫水路(1)

旧座光寺麻績学校及び座光寺公民館のすぐ南側に用水路がある。
今まで何も知らなかったのだが、Google Mapを眺めていたら、旧麻績学校から750mほど南西、飯田線のすぐ近くに「竜西一貫水路第16号分水工」という文字を見つけた。

竜西一貫水路とは、1969年(昭和44)に完成した総延長24kmの用水路である。
中川村にある南向(みなかた)発電所の放水路から取水し、天竜川の西岸にある飯田市・松川町・高森町の農地を灌漑するものだ。1941年に一度着工したものの、資材・労働力不足で中断してしまった。その工事を国営事業として1948年に再開したのだという。
国営部分(幹線水路)は1963年に完成、残りを県営・団体営事業として実施し、完成したのが1969年だった。

全長24kmのうち、地表に現れているのは約4kmで、残りは隧道やサイホンという形で地中を通っているらしい。
旧座光寺麻績学校の前では地表に現れているので、ここからNo.16 分水工までを歩いてみた。

隧道を通ってきた水路は、旧麻績学校の前で地表に現れる。隧道出口には「座光寺隧道一号」という銘板が付いている。

本記事の写真についている番号は、撮影場所を示すものである。(1ヶ所で2枚以上撮影したら同じ番号を付ける。水路沿いではない場所の写真には番号を付けていない。)

旧麻績学校の前で地表を流れているのは150mほどだ。
そして、再び住宅の下に流れ込んでいく。
隧道の名前は「座光寺隧道二号」と書かれていた。

道路沿いに歩いていたらだいぶ迂回することになってしまったが、二号隧道の出口を見つけた。

そこから少し果樹園の脇を歩かせてもらって、土曽川の左岸に来た。用水路は橋で土曽川を越えている。

土手を上って、水路橋の上面を確認した。向こう側は、また隧道になっている。
隧道名は「上郷隧道二号」だ。

水路橋より少し下流に人が渡れる橋があった。土曽川の右岸へ渡り、先ほどの隧道の位置まで上ってみる。

右岸には別の小さい水路も流れていた。少し歩いて水路橋を探す。

水路橋のところまで来た。この後は隧道なので徒歩で水路をたどることができない。
道路を歩いて分水工のところまで行こう。

道沿いに神社の鳥居があり、桜が咲いていた。地図を見ると階段の上には飯田線の線路があり、それを渡ったところに神社があるらしい。

分水工に到着した。フェンスで囲まれており、奥には隧道があるようだ。

これが分水工。隧道から出た水はサイホンを通り円筒形の中心から湧き出してくる。その水を左右に振り分けている。

この形式は「円筒分水工」といって、水を一定の割合に分けるための仕組みである。円周の切れ込みの長さで水の割合を調節しているのだ。右の切れ込みと左とでは全然大きさが違うので、左の方に5~6倍くらいの量の水が流れるのだろう。

隧道の出口も確認。「上郷隧道二号」とあるので、さっきの水路橋のところで見た隧道の出口だ。

ここは分水工から少し南に下ったところだ。黄色の矢印のところに先ほど見た分水工がある。

撮影当日は分水工の水はこの川に流れ込んでいたのだが、地形図では、竜西一貫水路は写真の左上の青いフェンスの奥を流れていくように描かれている。
2023年頃のストリートビューで見ると写真の左側手前に住宅があったのに、解体されてしまっている。左側の土地は、中央新幹線(リニア)のシールドトンネル工事の先行着手工事をしているそうだ。その関係でもしかしたら水路も流れを変えたのかもしれないが、工事現場なので確かめていない。
せめて現地でもう少し周辺の状況も確認すればよかったな。

まあ今回は事前の下調べもほとんどしていなかったし、分水工を確かめることが目的だったので、ここで終えることにした。

竜西一貫水路には、他にも分水工や水路橋が何ヶ所かあるようだ。興味が湧いてきたので他の場所も確認したくなってきた。次も記事を書く前提で、今回のタイトルには (1) という数字を付けた。次回の記事がいつになるかは未定だけど。

土木建造物

Posted by Sakyo K.