大所川発電所

2024-10-06

小谷村を訪問した日の話だ。
改修工事中の姫川橋から更に北に走り、JR平岩駅の近くまでやってきた。
平岩駅は新潟県糸魚川市にある。このあたりは姫川をはさんで東は長野県小谷村、西は新潟県糸魚川市なのだ。

平岩駅から300mほど北に歩くと、この建物が建っている。
デンカ株式会社の大所川(おおどころがわ)発電所だ。大所川というのは姫川の支流の一つだ。

大所川の水を利用した発電所の計画は、明治時代の末からあった。
日本窒素肥料株式会社(今のチッソ株式会社の前身)が1910年(明治43)12月から導水路の工事を始めた。しかし、1912年に姫川水系で大洪水があり、その後の土砂崩れで工事は中止されてしまった。
1919年(大正8)創立された北陸水電株式会社は、その導水路の復旧を検討したが経済的理由で着手しなかった。
1921年に北陸水電は電気化学工業株式会社に合併された。電気化学工業は同社の青海工場に電力を供給するために発電所の工事を進めた。過去の導水路は放棄し、大所川の左岸に新たに導水路を建設することにした。
同年11月に着工、大所川に堰堤を築き取水口を設け総延長1635mの隧道を掘った。隧道から水槽を経て、長さ391mの水圧鉄管路を通って発電所に水を導いている。発電後の水は放水路(隧道)を通して姫川に放流する。
1923年(大正12)11月に発電所は竣工した。

なお、地図中の発電所は3つともデンカ株式会社が所有する発電所である。

昔の写真を見ると側面の壁にも窓が並んでいたが、現在は側面の窓は全て塞がれている。
竣工当時の門柱が残っている。

1933年、電気化学工業は黒部川電力の経営に参画することになり、大所川発電所と小滝川発電所を現物出資した。そのため発電所は黒部川電力の所有となった。

第二次大戦後の財閥解体や電気事業再編成を経て、1952年に黒部川電力を三分割することになった。(黒部電力が、黒部川水力と海川電力を設立。)
海川電力は電気化学工業に吸収合併し、1953年に大所川発電所は電気化学工業の所有に戻った。
以後、現在まで電気化学工業の所有であるが、2015年に電気化学工業は「デンカ株式会社」に社名変更したので、現在は「デンカ株式会社大所川発電所」の看板が設置されている。

おそらくもう誰も通っていない門柱。「電気化学工業 大所発電所」と書かれている。

奥の木造の建物もおそらく発電所関係のものだろうが、使われているようには見えない。
1971年に発電所は自動化され大網発電所から遠隔制御をしているので、普段は誰も立ち入らないのだろう。

この建物は、玄関はサッシに変えられているが、その上部には薄いピンク色の木の窓枠が残っている。右側の壁も元は薄いピンクに塗装されていたように見える。
発電所を管理する社員の宿直所か何かだったのかなあ?

写真に黄色い「*」を付けてあるが、これらの壁は以前は窓だったところだ。
他の発電所でもよく見るが、最近の発電所は無人化されているからか窓を塞いでしまうことが多いようだ。
建物の耐震性能を高めるためかな?

門柱の横に立入禁止の立て札や消火栓がある。

「あぶない ここには発電所の電気設備があり危険ですから関係者以外入ってはいけません デンカ大網発電所」と書かれている。
無人なので、注意書きの表示名は大網発電所の名前になっているのだね。

建物の北側には変電施設がある。

建物の右下に見える看板も立入禁止の表示。門柱横にある看板と同じ内容だ。

大所川発電所の発電能力は最大8400kWだったが、2012年から出力を上げ、現在では9800kWの発電能力があるという。雪解けによる豊水期を活用することで出力を上げたのだそうだ。

今回の見学は外観だけ見て終りである。
この後は近くの大網発電所も確認してみよう。
(つづく)

【参考】
「電気工学 3月号」(技能図書出版社/1924)
「デンカ60年史」(デンカ60年史編纂委員会編/電気化学工業/1977)

土木建造物

Posted by Sakyo K.