辰巳用水

5月に金沢に行ったときの話です。石川県立博物館に着き,建物の周囲を写真を撮りながら歩いていました。博物館の棟と棟の間の中庭に,このようなモニュメントがあったのです。見たところ水道管?かなとは思ったのですが予備知識はありませんでした。

でもすぐに名前が分かることになったのです。

当日は21世紀美術館から歩いてきてけっこうお疲れモード。咽も渇いていたところでした。このモニュメントのすぐ奥にガラスのドアがあり、中では飲料の自販機がおいでおいでと待っているのが見えます。さっそく入ってお茶を買いました。
イスに座って飲みながら、ドアの方を振り返ると案内板が立っていました。

「辰巳用水噴水モニュメント」
あっけなく、名前が分かりました。しかも、これを見ると放水することになっているじゃありませんか。これは見るしかありません。
運の良いことに,あと少しで16:00になります。この日最後の放水ですよ、ラッキー。

来ました。結構景気よく流してくれます。
うれしがって何枚も写真を撮っちゃいました。

このあとは駅の方へ徒歩で下ります。神門を見たいと思っていた尾山神社が目的地。
そうしたらそこでもう一度,「辰巳用水」の文字に出会ったのでした。

尾山神社の境内に,石で作られた管の一部と,説明板がありました。

説明板の内容を引用します。(数字は算用数字に変更)
「神苑にひかれた導水管
三代藩主利常公の頃(1632年)犀川上流から金沢城へ導水した辰巳用水が完成しました。それを機にその一部を分岐して金谷御殿(現在の尾山神社)にもサイフォンの原理を応用し,巧妙な仕組みで兼六園の水を引水し,響音瀑とよばれる滝をつくりました。
当初水路は木管でつくられていましたが、天保15年(1844年)に庄川上流の金谷石で調整した石の導水管に取り替えられました。
昭和に入り道路整備等で水路は断たれましたが,近年発見された当時の石管は、長さ1メートル前後・39センチ角の石に径18センチのパイプ状に穴を開けた両端にホゾがつけられ、重さは約150キロあります。これを兼六園より暗渠でつなぎ、継ぎ目は樹脂で固め漏水をふせいだものであります。」

同じ写真の石管部分だけ拡大したものです。

さて、ここまで来ると「もしかしたら『辰巳用水』を知らない自分って無知なのかも?」と不安になってきます。
家で調べたら,国の史跡にも指定されてるじゃありませんか。知らんかったぁ~。

金沢市のサイトにパンフレットが掲載されていました。
金沢市の文化財の 辰巳用水のページ に説明が掲載されており,パンフレットも pdf でダウンロードできます。

江戸時代初期(寛永9年=1632)に建造された延長11kmの用水です。上流部の4.8kmのうち4.6kmは隧道を掘っています。隧道の幅は約1.7m、高さが2~2.6mくらい。これを1年足らずで完成させたんですか? すごいですね。(実際には,江戸時代後期に延伸されているので、最初から11kmあったわけではないようですが、それでも寛永9年の段階で10km以上あったそうです。)
兼六園から金沢城へ水を引くのに、一度その間にある百間堀という低い場所を通して水を引いていることが「伏越の理(ふせこしのことわり)」(逆サイフォン)として有名なことも知りました。伏越の理の図は,上に書いたパンフレットに掲載されているものを引用しました。

普段は隧道は公開されていませんが,ネットを見ると時々見学会が行なわれることもあるようで、隧道内部の写真をみることもできます。

逆サイフォンの話は昔聞いたことがあるような気もするんですが、「辰巳用水」という名前は記憶にありませんでした。年だけはとりましたが,私は知らないことばっかりです。