対談「ひろしま」石内都とアーサー・ビナード


6月に安曇野ちひろ美術館で行なわれたイベントに参加しました。石内都さんとアーサー・ビナードさんの対談「ひろしま」です。
石内都さんは広島で被爆した人たちの遺品を撮影し続けています。以前別のところで開催された写真展を一度見たことがあったのです。
アーサー・ビナードさんは実は今回初めてお名前を知ったのです。ミシガン生まれ,広島在住の詩人で、写真絵本「さがしています」も出版しているということも、この日に知りました。

会場の撮影や録音等はできないので、会場風景をこんな感じに描いてみました。ガラスの向こうに外の木々が見えています。17:30開始だったので,それがだんだん暗くなっていき、良い感じです。

お二人が話したことで印象に残った部分を記してみます。
メモをもとに書いているので,正確に再現しているわけではなく,ニュアンスも異なるかも知れません。こんなふうに私が受け取ったのだということでお読みください。
以下、それぞれの発言は石内さん=(石)、アーサーさん=(ア)と略します。

広島について
(石)
「広島のドームを始めてみたとき『小さくてかわいい』って感じた。それまでは写真のイメージが大きかった。モノクロで,男の目から見た広島という感じだった。」
(ア)
「日本に来るまで広島に興味があったわけではなかった。原爆は戦争を早く終わらせるために必要だと聞いてきた。最初東京に住んでいて,近所の人から空襲の話も聞くようになった。東京大空襲の話を聞いて、下町を焼いていると知って、本当に戦争を終わらせようとしてるの?してないでしょと思った。」
(石)
「アメリカの博物館も見に行ったけど,リアリティが違うなと。日本は戦後だけど、アメリカは戦中なんだなって感じた。」
(石)
「被害・加害という立場の違いがあるけど,そういう枠があるからそれを越えられる。新しいものが見えてくる。だからこそ聞ける話もある。」

遺品について
(石)
「広島の遺品は,普通なら残らない日用品が、原爆に遭ったということで大切に残されることになった。」
(ア)
「(写真にとった)クツは、2010年に資料館に来た。このクツが残ったのは,それを履いていた少年がなんとか家に帰り着いたから。そうやって家族に守られる遺品になった。家族の思いが凝集している。なぜ誰も石内さんみたいに『美しいもの』として撮らないんだろう。」
(石)
「私は過去は撮らない。少年のことは関係なくクツそのものだけを撮る。ワンピースをきれいにカッコよく撮ってあげたいという気持ち。美しいと思って撮っている。」
(ア)
「自分の父は40で亡くなったんだけど、自分がその年を越えて、いろいろ感じたときに『ああ父はこういうことを知らずに亡くなったんだな』と思う。遺品の持ち主も,そういう『感じるとき』というものを持てなかったんだなあと。」

表現の「メッセージ」について
(石)
「(展示に説明を付けていないので)写真を見るときに、近づいたり離れたり,自分で考えて欲しい。自分の目で見つけて欲しい。」
(ア)
「広島とかの話だと『こめたメッセージは?』ってことばっかり聞かれる。
 今までもメッセージ同士がぶつかり合ってきた。でも、日本に住むことでメッセージではない声や話が聞けるようになった。メッセージよりも『物語』を求めている。」
(石)
「今でも毎年,資料館に遺品が入ってくる。撮るべきものが毎年増えている。遺品から呼ばれている。生涯広島とつきあうつもり。責任をとるつもりで。」

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お話しの中の一部分をピックアップしてまとめました。
発言とズレていたら私の責任ですのでお許しください。

今でも遺品が資料館に入ってくるってことを、私は考えていなかったです。考えれてみれば当たり前で,遺品は普通家族が保管しているわけで,遺品だから最初から博物館へ…なんてならないですよね。それぞれの家族が自宅で遺品を保管して,数十年子孫に伝えてきて,そして機会があって資料館に移される。そういうことが今でも続いているんだなあ、まだ守っている方もいらっしゃるんだろうなあと思ったのでした。

対談の前に展覧会の方も見たのですが,写真に説明がない分、あれこれと考えました。書かれている名札の文字(名前や学校名、血液型もあった)を読み取ったり。服の形や色・模様から,年齢を想像したり。

終わって外に出てみれば,あたりは暗くなっていました。美術館の灯がきれいです。

写真では肉眼で感じるより空が明るく写ってて、ちょっとマグリットの「光の帝国」みたい。