松本市歴史の里 見学記(3)

2021-03-20

(続きです)

前回書いたように,展示・休憩棟には
・川島芳子記念室
・シベリア抑留展示コーナー
・山本茂実展示コーナー
があります。

川島芳子は清朝の皇族である粛親王の第14王女ですが、4歳の時辛亥革命で清朝が崩壊し、父親と進行のあった川島浪速(松本出身)の養女となり日本で育ちました。松本高等女学校に入学しています。
清朝の復活のために日本軍に協力して謀略工作に関わったといわれていますが,実態は明らかになっていません。戦後中国国民党政府に逮捕され,1948年銃殺刑に処せられました。
没後50年の1998年に,この松本市歴史の里(当時の名称は日本司法博物館)に記念室が設けられたとのことです。(展示室の解説より)

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シベリア抑留関連の展示では,収容所(ラーゲリ)のあった場所の地図や当時の収容所での写真,実際に使われていた衣類や道具などが展示されています。

地図中の小さい赤丸が収容所のあった場所です。東はカムチャツカ半島から西はレニングラードまで,広い範囲に渡って収容所があったことが分かります。コルイマ川の河口近くのコムリスク(地図の右上あたりです)とか、エニセイ川の河口に近いところにあるドゥジンガ(地図中央の上の海に近いところ)なんて、北極海に面しているところですよ。耐えられそうにありません。

ソ連によって戦後抑留された日本人は約57万5千人,約5万5千人が死亡したそうです。(人数はwikipediaの数字)

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展示休憩棟を出て、隣にある「工女宿宝来屋」に向かいます。

この建物は、江戸時代後期に松本と飛騨高山を結ぶ野麦街道沿いの集落、旧奈川村川浦(現在は松本市)に旅人宿として建てられたものです。
明治から大正にかけて,飛騨地方から諏訪・岡谷の製糸工場に向かう工女たちが宿泊しました。

内部の様子。

馬屋です。

宿の入口。

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最後の建物は,木下尚江生家です。(外観全体を撮るのを忘れてしまいました。)

松本市北深志にあったものを移築したものです。
木下尚江は明治2年生まれ,新聞記者・弁護士・小説家として活動しながら,普通選挙の実現など社会改革を目指した人物だそうです。

最初は松本の新聞社(信陽日報)の記者になりますが,のちに新聞社は倒産。
長野で法律修業をしたあと、弁護士として松本に事務所を開設します。地元紙に記事を書いたり,廃娼運動、禁酒運動,普通選挙運動に取り組みました。運動を警戒した警察により投獄をされています。
明治32年に東京の毎日新聞(旧横浜毎日新聞)に入社し、記者として権力的な政治、貧困を生む社会、足尾鉱毒問題などを告発。明治34年には社会民主党を結成しました。
日露戦争が起こると,作家として非戦小説「火の柱」を発表、平民新聞でも戦争批判を行ないました。
母の死後は社会運動の表舞台から身を引き,岡田虎二郎の静坐、田中正造の思想と実践,仏教やキリスト教の教えをよりどころにし、人間主義の著作活動を行なったということです。
昭和12年に死去。
(展示内容等から要約)

以上,「松本市歴史の里」の見学記でした。

松本市立博物館分館 松本市歴史の里
観覧料は高校生以上は 個人 400円、団体 300円
中学生以下は無料です。

【追記】
2019年10月に料金が変更になりました。
高校生以上の個人 410円、団体 310円です。