桂離宮 訪問記(1)

桂離宮の参観を申し込みました(&もちろん訪問しました)。
修学院離宮と同様、郵送・インターネット・窓口での申し込みがあります。希望日時を申し込み、人数オーバー等の問題がなく受け付けされれば後ほど許可の通知が届きます。
私はインターネット申し込みだったので、数日後にメールで返信されました。
当日申し込みもありますが、先着順に整理券配付で人数制限があります。

参観に当たっては身分証明書が必要になります。
それから、桂離宮の参観は「有料」です。18歳以上は1000円です(中高生は無料)。2018年から有料になりました。また、小学生は参観できません。
(以上、2019年現在)

ところで「桂離宮」って呼び方になったのは明治時代だって知りませんでしたよ。
もともとは後陽成天皇の弟・八条宮初代智仁(ともひと)親王により、宮家の別荘として1615(元和元)年頃から数年かけて「桂山荘」を造営したのだそうです。

智仁親王が亡くなった(1629)後しばらくは山荘も荒れていたのですが、二代智忠(としただ)親王が山荘の復興と増築を行ないます。1662(寛文2)年頃までにほぼ現在のような形になり、1663年に後水尾上皇を迎えるにあたって新御殿や御幸道を改造して完成という状態になりました。

八丈宮家はその後、常磐井宮 → 京極宮 → 桂宮 と名前を変えて明治時代を迎え、1881(明治14)年に淑子(すみこ)内親王が亡くなって絶えました。
山荘は1883(明治16)年に宮内省所管となり「桂離宮」と称されるようになったとのことです。

受付を済まし、時間になるとガイドの方が案内をしてくださいます。
まずはここを通って庭園に入りました。(入ってから振り向いて撮影。)

最初に向かうのは、御幸門です。正門を通って入った人は、次に御幸門を通ります。皮付丸太で柱と桁が組まれていて、屋根は茅葺き。

奥に見えるのが、正門の内側です。参観ルートはここまでなのでこれ以上正門には近づけません。
Uターンして、庭園の方に進みます。

ここは外腰掛。茶室の待合の腰掛で壁はなく茅葺きの屋根を柱で支えているだけです。なお写真には写っていませんが、一部分だけ壁があります。そこは付属の雪隠(便所)だということです。

外腰掛前の延段。自然石と切石を組み合わせて作られています。

池が見えてきました。左側、石を敷き詰めてあるのが洲浜です。これは砂浜を表し、先端に灯篭を据えて灯台に見立て、海の景色を表現しているそうです。

洲浜のところまで来ました。奥に見える石橋は天橋立の見立てだとか。

もう少し進むと別の石橋があります。橋を渡ったところにあるのが茶室「松琴亭(しょうきんてい)」です。桂離宮の中では最も格式の高い茶室とのことです。

屋根のところに「松琴」の扁額が掛かっていますが、これは後陽成天皇の宸筆です。

松琴亭の内部。

この市松模様は有名ですよね。

そういえば、「市松模様」って歌舞伎役者の佐野川市松が衣装に使ったから市松模様って呼ばれるようになったんですよね。佐野川市松を確かめたら宝暦期を代表する役者だとあって、宝暦期って1751~64年じゃないですか。つまり桂離宮を作った当初は「市松模様」とは呼んでなかったってことですよね。それ以前は「石畳文様」と呼ばれていたらしいですけど。

松琴亭を過ぎ、このような道を通ると(振り返って撮影したので、奥が松琴亭)。また橋があります。

橋を渡ると上りになります。途中にある灯篭「水蛍」。

小さい穴から灯火が洩れるのが池に映り、蛍が遊ぶのに似ているということでこの名前になったようです。
ところで戦前の書籍「京都史蹟古美術提要」(昭和16年)では、「蛍燈篭」と表記されていて「水蛍」ではないんですよね。もしかして水蛍ってけっこう新しい言い方?それとも単にもともと両方の言い方があったとか? 
…どうでもいいですか。
(その後、「水蛍」と表記している戦前の本も見つけました。)

建物が見えてきました。「賞花亭(しょうかてい)」です。

(つづく)

(参考:桂離宮のパンフレット 他)

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