桂離宮 訪問記(2)

賞花亭(しょうかてい)です。歩いている時は意識しなかったのですが、賞花亭が建っているところは島です。直前に渡った橋は島に渡る橋でした。
賞花亭は、少し離れた位置からみるとこんな建物です。

桂離宮の建物では一番高い位置にある建物で、峠の茶屋風のつくりになっています。(以前は暖簾を掛けていたこともあるらしい。)
なお、賞花亭は1934(昭和9)年の室戸台風の時に全壊し、翌年新材を用いて再建されたものだそうです。

賞花亭の中はこんな感じ。

畳を凹の字形に敷いて中央は土間になっています。

一番印象に残ったのは、この壁一杯にとられている下地窓です。

下地窓を内側から見るとこんな感じです。夏とか気持ち良さそうです。

島にはもう一つ建物があります。「園林堂(おんりんどう)」といいます。

もともとは観音像と細川幽斎像を祀り、それから宮家の位牌を安置した建物だったのですが、現在は建物だけで、中には何も安置されていないそうです。瓦葺きでちょっと他の建物とは雰囲気が異なります。
この建物が建っているところは島で、左の橋で陸に渡ります。

次に見るのが「笑意軒(しょういけん)」という茶室です。

屋根は茅葺きで、杮葺(こけらぶき)の廂(ひさし)がついています。
ここは水辺が他と違って直線的に作られています。水辺に下りる階段もあるし、船着き場ということなのでしょう。

近づくとこんな姿。6つの丸い下地窓がアクセント。

笑意軒の内部。襖で仕切られた部屋が並んでいます。さっぱりした印象ですが、よく見ると奥の障子の下の壁の部分、模様を付けてあって工夫しています。

それから襖の上は壁がなくて素通しなので、襖を閉めてもあんまり狭苦しく感じないかもしれません。

笑意軒の近くにあった雪見灯篭。

笑意軒から北に向かうと建物が見えてきます。左が新御殿、中央部分が楽器の間、その右が中書院です。この建物の内部は参観コースに含まれていません。

新御殿は、智忠(としただ)親王が後水尾上皇を迎えるために増築した建物。「天下の三棚」のひとつ「桂棚」があるのはこの新御殿の中らしいです。パンフレットには写真が載っていました。

さらに進むと、中書院に連なって古書院の建物があります。右端に突き出している台は月見台です。

月見台の前を通り、古書院の脇を曲がって進みます。この先に「月波楼(げっぱろう)」があります。

この写真は、上の写真の道を奥に進み、月波楼の近くから振り返って撮影した古書院です。

【付記】
昭和9年の台風での桂離宮の被害について調べ始めたのですが、まだよく解りません。「関西台風水害美談と悲話」(昭和9年:朝日新聞社)を見たら、「桂離宮内の御茶席二棟が倒壊し、御塀二百メートルが倒壊」とありましたが、どの茶室なのか書いてないのです。(それにしても、何ていう本のタイトルなんだろう…。)

昭和10年発行の「京都市風害誌」(京都市役所)があるのですが、京都市内で死者185名、負傷者849名。特に学校関係では小学校の校舎が13校倒壊、大破・傾斜等により使用不能となったのが小学校35校・市立学校3校あり、児童の死者が78名もいました。
京都府内では死者が247名(この人数は京都新聞2018年9月25日の記事より)あったという大災害で、正直、茶室がどうとかそれどころではない状況です。

(参考)
桂離宮のパンフレット
宮内庁「桂離宮の写真
国立国会図書館デジタルコレクション「京都市風害誌:昭和九年九月二十一日
京都市消防局「昭和9年9月21日室戸台風

最後は別の話になってしまいましたが、ブログの方は一応、次回桂離宮の訪問記の最終回ということで、まとめたいと思います。

(つづく)

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