小諸城址懐古園

小山敬三美術館を見た後、来た道を戻ります。
左側に駐車場、右側に神社がありました。鹿島神社という名前です。

できればもうひとつ施設を見たいと思ったので、写真だけ撮って素通りです。

神社の参道には赤い鳥居があり、その向こうに浅間山が見えました。

赤鳥居のところを右折し、この谷を渡るって天守台の方に戻ります。この谷には地獄谷という名前がついていました。渡った橋は酔月橋という名前。

天守台の石垣。

豊臣秀吉の時代、秀吉子飼いの戦国武将、仙石秀久が天守閣を築いたそうですが、寛永3年(1626)に落雷で焼失し、その後天守閣が再建されることはなかったそうです。

藤村記念館。島崎藤村(1872-1943)の遺墨・遺品や資料を展示している資料館です。
島崎藤村は明治32年に小諸義塾に英語・国語の教師として赴任し、明治38年の春まで小諸で過ごしました。

この建物は昭和32年に建てられたものですが(開館は昭和33年)、設計は谷口吉郎(1904-1979)です。谷口六郎は東京国立博物館東洋館(1968)や、東京国立近代美術館(1969)などを設計した人です。

本丸跡には懐古神社が建てられていました。

神社は明治13年、廃藩後に荒れ果てていた小諸城址を整備して懐古園とするに当たって創建されたものです。現在の建物は昭和62年に改築されたとのことでした。

お駕籠台跡。

北の丸跡。現在は弓道場になっています。

正面の石段の先が二の丸跡。

関ヶ原の合戦の際、徳川秀忠が信州入りして上田城を攻略しようとした際、ここに本陣を置いたのだそうです。

二の丸跡から浅間山が見えます。

二の門跡。(この写真だけ、美術館に行く前に撮影したものです。)

最後に徴古館に入ろうかと思ったのですが、時間切れ。もう閉館するところでした。

線路の向こうに大手門があるということなので、三の門をくぐり、そちらに向かいます。

大手門。

慶長17年(1612)、藩主仙石久秀が小諸城を築いた時代のものだそうです。二層入母屋造の楼門で、石垣と門が一体化していないことや、一階が強固な造りに対して二階は居館形式をとっていることなど、特徴のある建物だそうです。

明治維新後は小諸義塾の仮教室や料亭として使われてきましたが、平成20年に江戸時代の姿に復原されました。

大手門周辺は「大手門公園」として整備されており、小諸宿本陣の建物もあるのですが、こちらも冬期休業。
やはり冬ではなく春とか夏に来るべきところなのか。懐古園は春の桜も美しいそうです。

というわけで、これで小諸散策を終えました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

four + fourteen =