「かくれキリシタン」について

(この文は、ツイッター用に書いたものです。長くなったのでブログに掲載することにしました。多くの部分はほぼ、ツイッターで書いていた状態のままです。)

先日記事を見て「かくれキリシタン」に興味を持ったので、二冊の本を読んだ。
(1)「潜伏キリシタンは何を信じていたのか」宮崎賢太郎著・角川書店
(2)「消された信仰(「最後のかくれキリシタン」─長崎・生月島の人々)」広野真嗣著・小学館 
読了。

今まで「かくれキリシタン」を当然の表現だと思っていたので、世界遺産選定のニュースで「潜伏キリシタン」という表現を聞き、違和感を持っていた。
ネットの記事で「消された信仰」の紹介を読んで興味を持ったが、自分に基礎知識もないので、もう一冊読む必要があろうと思い、図書館で関連書籍を探して宮崎氏の本を選定。

宮崎氏は「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」を区別するべきだと言っている。禁教の時代の信仰(潜伏〜)と、自由に信仰できる近現代(カクレ〜)では違う、という主張。そして「『カクレキリシタン』はキリスト教徒ですらなく、先祖の信仰を伝えてきたのだ」と言う。
敬虔なキリスト教徒だと見るのは幻想だと。

宮崎氏の言っていることは分かるのだが、じゃあ江戸時代はキリスト教徒だったのかと疑問に思う。宮崎氏自身、当時も宗教的な理解は浅かっただろうという。となると「潜伏キリシタン」だってキリシタンと言えなくなりはしないか。用語を分ける意味はあるんだろうか。

私は一神教というヤツが嫌いなのだが、それは「自分は正しい」=「お前は間違っている」と言いそうなところが苦手なんですよ。
宮崎氏の著書を読んでいてもベースには「『正しい』キリスト教とはちょっと違うんだよね。まあ伝えてきたことは偉いよね」という上から目線?みたいなニュアンスを感じてしまう。

「宗教的理解」を信者の要件としたら、その要件にかなう信者はどれくらいいるのだろう?他宗教も含めて。よく「日本人は仏教徒(or 神道信者)」という言い方もするけど、皆が皆、仏教(神道)の理解が深いとは思えないよ。
表面的な理解だって、信者と言ったっていいんじゃないのかな。

世界遺産の申請についても宮崎氏は触れている。最初の提案は明治以降に建てられた教会建築が主体だったが、潜伏キリシタンという方に焦点をあて、価値を再提示しようとしている点については評価している。しかし潜伏キリシタンに注目することによって、その前後(禁教前と、復活してから現在まで)が軽視されると日本におけるキリスト教の歴史を理解するのには適切でないだろうと危惧している。
この点については私も賛同できる。

ただ宮崎氏は基本的に「もっとキリスト教信者を増やしたい」という願望をお持ちのようである。「日本ではなぜキリスト教徒は増えないのか」という章を設け、あれこれ「対策」を提言しておられる。
私は根本的に「一神教は日本では受け入れられない」と思っているので、別に増やさなくてもいいじゃん、と眺めているだけなのだが。

二冊目。
広野氏は、長崎の教会群が世界遺産登録に申請する時に、途中で表現ががらっとかわった事に違和感を持つ。2014年には「潜伏キリシタンの伝統が今も大切に守られている」と言っていたのが、2017年には「現在ではほぼ消滅している」と変わった。

そこで、世界遺産提案の途中で構成資産の候補からは消えてしまったように思える「生月(いきつき)島」を中心に取材し、信仰の歴史や現在の状況をレポートしている。

世界遺産への登録を巡っては、イコモスから指導があっていろいろ変わっていったらしい。もともとは「長崎の教会群とキリスト教関連資産」というものが、「潜伏キリシタン」に焦点を絞ることによって、登録されることになったようだ。

広野氏が取材をした生月島は、かくれキリシタンの信仰は残っているのだが、当時の遺構がない。逆に信仰が消えてしまった「春日集落」は、世界遺産の構成資産に含まれている。それは当時の遺構(物証)の有無によるらしい。禁教期の集落とか、環境がそのまま残されていることが必要だったようだ。

キリスト教徒を「迫害された被害者」とすることで抜け落ちてしまうのが、迫害する側のキリスト教。(広野氏が書いているわけではないが、新大陸にあれだけキリスト教が広まったのだって、侵略の結果でもあるわけだし。)生月島に16世紀に建てられた教会も、寺から仏像を撤去して教会にしたものだ。

島原半島にある日野江城はキリシタン大名となった有馬春信の居城だったが、城址を発掘したところ、石段には寺院や墓地にあった石塔・仏塔が流用されていたという。春信は自らの受洗後寺院や墓地を破壊して僧には改宗するか追放されるか選べと迫ったらしい。キリスト教は十分暴力的だよ。

広野氏の紹介した次の話しがおもしろかった。
戦後、1949年にバチカンから教皇の特使(ギルロイ枢機卿)が来日した。その期間中に極秘で、「かくれ切支丹」と呼ばれている信者の代表と面会をしたのだそうだ。「カトリックに戻らないか」という話しだったらしい。

信者は「先祖ならびに我々は表向きは仏教、裏ではカトリック信者だが、その御利益は大きく、我われの島に起こる数々の奇跡はいま仏教を捨て転宗してもまた起こるか?」と枢機卿に質問をしている。 仏教はただのカムフラージュではなく、仏教もまた信じているんですね。だから「仏教を捨て」という言い方になる。

(まあ、ここでいう仏教も「仏様」であり、また「ご先祖様」でもあるのかもしれないけど。)でも結局、生月島の信者は「カトリックに合流はしない」と決めたのだという。自分たちの信仰を守り通すという意味では、生月島の信仰も世界遺産の主旨に合ってるんじゃないでしょうかね。

しかし現実問題として、信仰を続けることも伝える事も難しくなっていった。その理由の一例を挙げる。
かつてはキリスト教の洗礼に当たるものが「お授け」と呼ばれて家々で行われてきた。そして死ぬ時には「お戻し」という、魂を抜いて天国に送る儀式が行なわれていた。
地域で生活が完結していた時代には、この両方が代々続けられたのだが、戦後故郷を出て都会などで生活するようになると「お戻しができないのではないか」と悩むようになる。結果、「お授け」が行われなくなった。
また、聖職者の役割を果たす事も負担に感じるようになり、引き継ぐ人が出にくくなった。地区によってはご神体を博物館に預け、信者集団を解散するところも出てきた。

広野氏が取材をした学芸員の方は、世界遺産登録後に「平戸・生月のキリシタン史の”本当の価値”を伝えなければならない」と語っている。「禁教時代だけでなく、キリスト教が伝わった始まりの歴史と、禁教が解けた後もそのかたちを今に残しているかくれキリシタンのことまできちんと含めて表現するつもりです」と。
広野氏は最初に書いた宮崎氏に批判的な視点ももっているが、この「禁教以前と以後も通して見つめる」という点では、宮崎氏と同じところを見ているのだと思う。私も賛同したい。

私自身は世界遺産のポップアップカードを作っているくせに、ここ数年「世界遺産」という言葉には逆にうさんくささを感じてしまい、ちょっと距離を置いている。「登録する事が価値の全て」であるかのような雰囲気を感じて、それが嫌で離れて見るようになった。
自分の運営しているサイトの項目名も、始めは「世界遺産のポップアップカード」だったのに「世界の文化財」って変えちゃったし。

世界遺産の数は、ヨーロッパの遺産が全体の40%以上を占めているそうです。自分がカードを作る際には、ヨーロッパ主体にせずにいろんな地域の遺産を偏りなく扱いたいと思っています。(だからこそ、世界遺産以外のものを入れるようになった。)
とりあえず、世界遺産は尊重するけど、「世界遺産『だから』尊重する」って見方はしないようにしたいと思ってます。
うまくまとまりませんが、こんなことを思った読書でした。

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