松本市歴史の里 見学記(1)

長野県松本市にある「松本市歴史の里」に来ました。

(正門と旧裁判所庁舎)
松本城二の丸御殿跡にあった旧松本区裁判所が昭和52年に解体されることになり,保存運動の結果昭和57年に現在地に移築されたのが始まりです。当時は「日本司法博物館」と呼ばれていました。
その後,県内にある建造物を移築保存し,現在5棟の歴史的建造物が並んでいます。
平成14年から松本市の管理となり,「松本市歴史の里」と名称を変更し、松本市博物館の別館として運営されています。



旧松本区裁判所。明治41年に建てられたものです。平成29年11月に国の重要文化財に指定されてます。

廊下です。左側のプレートには「判事室」と(右から左へ)書いてあります。

支部訴訟。明治時代の法廷の様子を再現しています。写真向かって左が検事,中央が裁判長,右側が書記だそうです。写真には写っていませんが,手前の一段低いところに証言台が置かれています。被告,弁護人,廷吏の席もそちらにあります。

明治時代の法服。裁判所の服制が定められたのは,明治20年代のことでした。東京美術学校教授の黒川真頼がデザインしたもので,聖徳太子図像をベースにし,ヨーロッパの法服・文官大礼服の装飾の要素を取り入れ,和洋折衷の独特のデザインになったそうです。

こちらは判事室。
室内に旧裁判所の解体が決まった時の保存運動を新聞記事が展示されていました。

引用(昭和53年7月9日信濃毎日新聞)
「松本市は、松本城内に残る旧地裁松本支部の建物について,記録保存した上で取り壊す方針を最終的に固めた。十日の市議会教育民生委員協議会にはかって了承を求める。今月半ばから調査、取り壊しを始めるが、同建物の保存運動を続けてきた『文化財を守る市民の会』(増田要次郎会長)は八日,市内でデモ行進するなど全面保存を改めて訴えた。」

引用(昭和53年7月23日信濃毎日新聞)
「取り壊しか、保存か−で揺れていた松本城内の旧地裁松本支部庁舎問題で,二十二日,保存を訴えてきた市民の会の一員である市会議員が『市の解体予算付きで譲ってほしい』と移転保存を松本市に申し入れた。解体寸前の新しい局面に和合市長も『議会と相談して決めるが,基本的には協力したい』と好意的な姿勢だ。移転保存に必要な用地,資金問題など,なお困難な課題は多いが,関係者は『司法関係の資料館として実現のメドはある』としている。」 

そうして昭和57年に移築復元され,「日本司法博物館」として開館したそうです。


こちらは会議室。

検事局書記室から、玄関を見る。

展示資料によると,この旧裁判所の前に、明治11年に初代の裁判所庁舎があったとありました。残念ながら写真は(見落としてなれば)見当たりませんでしたが、その庁舎は立石清重(たていし・せいじゅう)が建てたとのこと。松本にある旧開智学校を建築した人です。どんな建物だったんだろう。


重要文化財指定書が展示されていました。複製ですけど。煉瓦造の正門も重要文化財に含まれています。

こちらは区訟廷です。

天井の四隅にはこのような飾り模様がありました。


「予審廷」。予の字は「豫」の表記になっています。こちらは公開されていませんでした。
ここを通って外に出ました。

ここにはほかにも四棟の歴史的建造物が移築されています。そちらは別の記事で。

(参考:「松本市歴史の里」パンフレット)