修学院離宮 訪問記(2)

【中離宮】
離宮内には「上離宮」「中離宮」「下離宮」の3つの離宮(御茶屋)があります。最初に下離宮を見てから松並木の通路を歩いて、中離宮へ来たところです。

中離宮の表門。脇に扉があるので見学者はそこを通って中に入ります。

幅の広い階段を上ります。右上に少しだけ見えているのが中門。

この地図は、修学院離宮のパンフレットに載っていた地図から中離宮の部分だけ抜き出しました。
赤い矢印が参観ルートで、上の写真の階段は地図の中央、クランクになっているところの縦方向の部分です。

後水尾御上皇は第8皇女朱宮光子(あけのみやてるこ)内親王のために、離宮の隣接地に山荘を建てました(1668年頃)。この建物が楽只軒(らくしけん)です。

見学順路では上の写真より先にこちらを撮影したのですが、楽只軒の縁側の近くに立っています。
左が楽只軒の室内、中央階段は、隣接している客殿への階段です。階段の段の高さは意図的に不規則にしたとのことでした。

こちらは楽只軒の内部。襖絵は狩野探信が描いた吉野の桜だそうです。もう一室は龍田川の紅葉が描かれているとのこと。

楽只軒に隣接した客殿の方に廻ってきました。この建物は、女院御所の奥対面所から1682年(天和2年)に移築したものだそうです。奥に見えるのが「霞棚」と呼ばれている飾り棚。
知りませんでしたが、棚の世界にも「天下の三棚」と呼ばれているものがあって、桂離宮の桂棚と三宝院の醍醐棚、そしてここの霞棚がそうなんだそうです。

杉戸にあったのは祇園祭の鉾の絵。これは狩野敦信の作だと言われています。

客殿の脇に石段があり、止め石が置いてありました。この上は林丘寺の敷地のようです。
朱宮光子内親王は後水尾上皇が亡くなったあと出家して山荘を林丘寺と改めました。楽只軒と客殿は明治時代に宮内省に返されましたが、これは林丘寺の寺域のおよそ半分にあたるのだそうです。上に掲載した地図でピンクに着色されているのが林丘寺の寺域ですが、お寺は一般公開していません。

客殿の北側に廻ってきました。縁側についているのが「網干の欄干」と呼ばれているもの。漁村で網を干した形を表しているんだそうです。

これで中離宮を一巡しました。再び松並木を戻り、次は上離宮に向かいます。

これは上離宮へ向かう通路。歩きながら後ろを振り向いて撮影しているので、松並木の奥に少しだけ見えるのは最初に見た下離宮の塀です。この写真の真ん中あたり、砂利道の左端にくぼみが見えますが、排水のためのものです。

排水溝部分を撮影。斜面の通路に沿ってこういった形で左右に何個所もつくってありました。石で溝を作り、最後は左右にパイプで抜いていました。最近の工事かな。

坂を登ったので街並みが見渡せるようになりました。これから上離宮に入ります。

(つづく)

(参考:修学院離宮パンフレット)

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