修学院離宮 訪問記(3)

【上離宮】
上離宮の門を通り抜けました。修学院離宮見学は、ガイド役の職員の方のほかに、もう一人の職員の方が最後尾に同行します。その方が門を閉めているところです。

上離宮の特徴は人造の池があること。谷川をせき止めて作った「浴龍池(よくりゅうち)」があるのです。池を巡って苑路があり、建物や橋が作られています。

門をくぐってすぐ、道は上りになります。

上った先には「隣雲亭(りんうんてい)」がありました。この建物は文政年間に再建されたものだそうです。

内部は床や棚もありません。

これ、かっこいいですよね。軒下のたたきは、漆喰に小石が埋め込まれているのです。一つ、二つ、三つと埋め込まれているので「一二三石(ひふみいし)」とも呼ばれているそうです。

隣雲亭の前から見下ろした浴龍池。手前の木はきれいに刈り込んであって手入れも大変そうです。この日も作業をしていました。

隣雲亭から、池の方に下ります。これはその途中の景色。緑の中を歩くのは気持ちいい。

浴龍池には、人が渡れるように橋が架かっている島が二つあります(※)。パンフレットではふたつとも「中島」と表記していますが、南側の少し小さい島の方だけ別名「万松塢(ばんしょうう)」と注記されていたので、ここでは大きい島の方を「中島」、その南にある島を「万松塢」と区別して表記します。
私は、「塢」という漢字を知らなかったんですが、「う」と読むそうで、もともと「土手」という意味らしいです。

※ 補足 (2019.08.17)
パンフレットの地図には描かれていませんでしたが、宮内庁のサイトを見ると、もうひとつの島、三保ヶ島にも橋が架かっているようです。ただし見学コースには入っていません。

この写真は、その万松塢と中島を結んでいる「千歳橋(ちとせばし)」です。宮内庁のサイトを見ると、この橋は19世紀前半に京都所司代から献上されたものだということです。

千歳橋は外観があまり好評ではないのか、パンフレットでは「いかにも中国的な感じで自然に溶け込まず違和感があるが、それもまたアンバランスな美といえる」と、微妙な書き方です。
大正12年に出版された「庭園研究十五題」(竜居松之助 著・国史講習会)の中では「ただ憾(うら)むらくは後年附加せられた千歳橋がすべての調和を破ってゐる」と書かれてしまっています。
もちろん褒めている本もありますけど。明治44年の「日本名園図譜」(本多錦吉郎著・小柴英)では「其の構造優麗にして雅致あり」と書いてます。

見学コースでは千歳橋は渡りません。見るだけです。上の写真でいうと左が万松塢、右が中島で、見学者は「楓橋」という別の橋を通って中島に渡ります。

余談になりますが、パンフレットの地図では中島は島として描かれていますし、私も実際に橋を渡ったんです。でも国土地理院の地図や Google map で見ると、中島は東の陸地とくっついていて、地図上では島になってないんですよね。航空写真で見ると木に隠れて水面が見えないからだと思います。

中島の一番高い位置には建物が建っています。「窮邃亭(きゅうすいてい)」という名前の茶屋です。実はこれが創建当時の建物で現存する唯一のものだそうなんですよ。文政年間に修復はされていますが。

竹と木で作った雨樋がいい。確か隣雲亭も同様の作りだったと思います。

屋根の上の形が気になったんですが、建物の近くだとよく見えないので、カメラを持ち上げて撮影しました。

別の橋を通って、池の北西岸に渡ります。少し歩くと船着き場があって、ここは舟遊びに使われたようです。

そこから向こう岸を見ると隣雲亭の屋根が見えました。写真は分かりにくいですが、空と水面の中間あたり。

足下に「宮内庁」と書いてある基準点を発見。測量か何かに使うのでしょうか。

池のほとりを歩いていくと、最初に入った上離宮の門に着きます。これで上離宮の見学コースは終了です。あとは松並木を戻り、下離宮の脇を回り込んで正門前に戻りました。

これは正門近くで撮影。

徒歩で1時間10分くらい、けっこう暑い日でしたが緑の中を歩くのは気持ちよかったです。
紅葉の時期は見学希望が多そうですが、機会があれば行ってみたいものです。

以上で修学院離宮訪問記を終わります。

(参考:修学院離宮パンフレット 国立国会図書館デジタルコレクション)

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