静岡県の学校建築(明治編)

なかなか製作が進ますサイト更新が滞っています。次の製作の下調べを先に書きます。

最近静岡県の建築について調べています。中でも特に学校建築について見ているところです。

だいぶ前(2006年)にポップアップカードで見付学校(↑作品写真)を作りました。
その見付学校が「遠州三大学校の一つ」と言われていたということは最近になって知りました。

明治8年に竣工した三つの学校(坊中学校、見付学校、西之島学校)を言うのだそうです。
その3校と、他にも資料で見つけた学校もいくつか合わせて下にまとめます。

学校名に記号が付いていますが、◎=現存 △=存在せず を表しています。

△坊中学校(浜松県鎌田村 (下註) =現在は磐田市)
 「坊中・学校」です。中学校ではありません。読みは「ぼうじゅう」です。明治5年の学制発布を受け、その年に御厨村の医王寺に郷学所を設けたのが始まりです。明治7年に新校舎の建築を始め、8年4月に竣工しました。
写真を見ると、寄棟屋根の2階建てでベランダがあり、屋上には塔屋が載っています。明治45年に火災で焼失してしまいました。

◎旧見付学校(浜松県見附=現在は磐田市)
 こちらも明治7年着工、8年に落成した国内でもっとも古い小学校のひとつです。3階部分は、明治16年に増築されました。建築には名古屋から招かれた伊藤平右衛門ほか7名が中心となり、地元の見付の職人26人が参加したそうです。現在は国史跡に指定されています。
こちらは、以前作ったポップアップカードのページです。)

△旧西之島学校(浜松県西之島村(下註)=現在は磐田市)
 見付学校と同じ年(明治8年)に建てられた学校です。二階建てで、ベランダがあります。できた当時は屋根に小さな望楼があったそうですが、残っている写真では既に望楼は見当たりません。(大正時代にはすでに失われていたようです。)
こちらの校舎は、昭和29年まで井通小学校として使われていましたが、豊田南小学校への移転ともない民間会社へ売却され、事務所兼作業所としてしばらく使われていました。
昭和42年に解体されたそうです。

以上三校が「遠州三大学校」と呼ばれた学校です。

◎旧大沢学舎(那賀郡大沢村=現在は加茂郡松崎町)
 大沢村の戸長 依田佐二平が近隣五ヵ村のために自費で洋風二階建ての学校を建てたものが大沢学舎です。
明治22年、村の合併で中川村が誕生し、校舎は中川村役場庁舎となります(移築)。昭和30年の市町村合併で松崎町となったため中川村役場は廃止されました。
建物は現在、花の三聖苑に移築・復元され資料館となっています。

◎旧岩科学校(加茂郡岩科村=現在は松崎町)
 明治12年に岩科村の戸長 佐藤源吉が、地元の棟梁 高木久五郎と菊池丑太郎を北伊豆・沼津方面の新築学校の調査に派遣し、洋風学校を設計させ、明治13年9月に落成しています。壁面はなまこ壁、窓は半円アーチの擬洋風建築です。現在は重要文化財となっています。

△旧下田小学校(加茂郡下田町=現在は下田市)
 明治16年に着工し、途中で台風の被害もあって完成したのは明治22年4月でした。棟梁は臼井惣吉、副棟梁は笹本佐吉です。寄棟二階建てで、両翼に平屋の入母屋の教室が付いていました。窓は半円アーチ状、壁はなまこ壁です。屋根の中央には塔屋が乗っていました。
昭和41年に解体されました。

△旧愛鷹(あしたか)小学校(駿東郡鷹根村=現在は沼津市)
 こちらは、神奈川県箱根町にあった凾根離宮の西洋館を、昭和5年に払い下げを受け移築して小学校校舎としたものです。移築当時は鷹根村で校名も鷹根小学校だったようですが、昭和10年に愛鷹村に改名され、校名も改称されています。
凾根離宮は明治18年着工、19年に竣工しています。離宮には西洋館・日本館・臣下控所・哨舎などが建設されました。西洋館の設計は工部大学校造家科第二回生の藤本寿吉が担当しました。
昭和51年に校舎が移転となり、旧校舎は解体されました。

現時点で調べることができたのは、以上です。
この中からポップアップカードを作る予定です。できあがったらまた掲載します。

【註】 地名は学校設立当初の地名表記としたいのですが、参考資料執筆時の地名になっている場合もあるかもしれません。
(2019.03.07) 西之島学校の所在地を「西之島村」と変更しました。公開時に書いてあった「豊田村」は昭和30年になって合併して誕生した村名でした。西之島村→(1889年)豊田郡井通村→(1896)磐田郡井通村→(1955)磐田郡豊田村→(1973)豊田町→(2005)磐田市(合併) という変遷です。
(2019.03.08) 坊中学校の所在地を「鎌田村」に変更しました。鎌田村→(1889年)山名郡御厨村→(1896)磐田郡御厨村→(1955)磐田市(編入) となっています。
(2019.03.21) 現在の磐田市は明治8年当時浜松県だったということなので、それを追記。明治9年に静岡県と合併しました。

参考
・「静岡県磐田郡における明治初期洋風三小学校について」渡辺保忠 / 日本建築学会論文報告集第60号 / 昭和33年10月
・「東海の明治建築」日本建築学会東海支部 編 / 名古屋鉄道 出版 / 昭和43年
・「幻の学校をたずねて」三浦茂 / 早稲田出版 / 平成16年
・「磐田の学校の歴史」磐田市立図書館・小中学生向け解説シート 平成29年

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