中日ビルさよならイベントに行きました(1)
名古屋市栄の中日ビルは、昭和41年に開業した多目的ビルです。中には劇場、文化センター、飲食店、ショッピング街、催事場・宴会場、全国物産観光センターなどがありました。建て替えのために今年(2019)の3月末で閉館しました。
3月13日付で、中部日本ビルディング株式会社から、「中日ビル さよならイベント」の告知が出されました。29日から31日までの三日間、建物内の一部を見学できるということなので、私も見に行くことにしたのです。
3月30日9:45。
玄関ホールのカウントダウンは「閉館まであと1日」となっています。
受付は10:00から玄関ホールのはずなのに、ほとんど人がいません。どうしたのかと思って歩き回ったら、少し離れた廊下にすでに大勢並んで待ってらっしゃいました。列の後ろに並びます。
自分が並んだところのすぐ左に、玄関ホールの天井画モザイクの原画が展示されていました。原画の題名は「大空の饗宴」だったのですが、モザイク画の方は作者自身が「夜空の饗宴」としたことが書いてあります。
絵の作者は矢橋六郎(1905~1988)。洋画家で、岐阜県教育委員長もされた方のようです。名古屋駅新幹線口の「日月と東海の四季」も彼の作品とのこと。
モザイクの一部分を2階から撮影しました。
このモザイクは新ビルに移されることになったそうです。
(あとで検索したところ、壁画にまつわる記事を見つけました。)
「1人の愛好家が巨大アートを動かした! 名古屋・中日ビルのモザイク画が存続へ(大竹敏之) – Yahoo!ニュース」(外部リンク)
さて、待っていた列が徐々に動き出し、受付に来ました。
受付ではクリアファイルをいただきました。数量限定で三日間配布したようです。中には、「名古屋の歩き方 中日ビル」が入っています。これは当日の見学順番が書かれているガイドのリーフレットでした。表紙デザインが「地球の歩き方」ですが、裏面を見たらきちんと「地球の歩き方編集室から許諾を得ております」と表記がありました。
それから元日の中日新聞。中に「愛知の渋ビル」特集が載っています。1950年代から70年代にかけて建てられたモダニズム建築を観賞している「名古屋渋ビル研究会」が紹介されていました。といっても実物を見る方が忙しいので、新聞は後で読んだのですけど。
ガイドを見ると、エレベーターでまず屋上に上がり、そのあと12階→9階→5階→4階→1階ホールと見て回るようになっています。さっそく屋上に上がります。
屋上はビアガーデンだったので、まだ看板などが残っています。
特徴的な形のレストラン、どうも営業当時はゆっくり回転していたらしいです。
屋上の端の方に行くと、椅子を囲むように石造りの仕切りが。
12階です。クラブ東海という会員制のクラブでした。財界の人たちが来たようです。が、備品は既に撤去してあるので、正直どういう雰囲気だったのか分かりませぬ…。
その代わりでしょうか、壁には過去の新聞記事など資料が掲示してありました。
この写真は、1996年9月21日の中日新聞、「中日ビル30周年記念特集」。記事の冒頭を少し引用します。
「昭和四十一年─。地下鉄東山線が名古屋駅─栄間に開通して十年。前年の十月には地下鉄名城線も栄─市役所間が開通し、栄がようやく都心らしい姿を整え始めたころだ。ビルがオープンしたのは、その歳の四月。地上十一階、地下四階、塔屋四階、延べ面積八万四千四百平方メートルでナゴヤ球場の約四倍。中部圏一、全国でも五番目というジャンボビルが市民の度肝を抜いた。」
何回か行われた改装についても書かれていました。
「また、昭和五十六年からはビルのリフレッシュ作戦に着手。空調、照明、給排水などの設備更新や各フロアの改装などを全館規模で進めてきた。(中略)三十周年の今年は、劇場に続いて二・三階のビルタウンをはじめ一階玄関ロビーや南玄関ホールを全面改装、二十五日にそろってリフレッシュオープンする。…」
もっと古い新聞も。昭和42年4月20日の中日新聞PR版。中日ビル一周年記念のPRです。ビルの内部を絵で表現しているページもありました。
こちらはクラブ東海の大会議室。中日ドラゴンズの記者会見なども行われた場所だそうです。
続いて9階にある中日劇場に向かいます。
(つづく)
最近のコメント