富山空襲で失われた建物を探す(1)
末尾に追記があります。(2022/05/25)
前回富山空襲について触れましたが、空襲で失われてしまった建物を調べてみました。(今後の製作の予備調査でもあります。)
国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる資料から探しました。
(1) 富山郵便局 明治34年竣工。
写真 「富山県写真帖」(大正2年、富山県主催一府八県聯合共進会富山県協賛会 編)より
(2) 富山駅 明治41年竣工。
写真 「富山県写真帖」(大正2年、富山県主催一府八県聯合共進会富山県協賛会 編)より
(3) 富山県会議事堂 明治42年竣工。皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)行啓記念事業として建設されました。同年の皇太子行啓の際には行在所となったところです。
写真 「富山県写真帖」(明治42年、富山県)より
(4) 県立薬学専門学校 前身は明治27年の共立薬学校。明治40年に県立薬業学校となり、明治43年に薬学専門学校となる。
写真 「富山市史.第2編」(大正3年 富山市)より
(5) 富山慈濟院 大正元年11月竣工。明治44年に火災で焼失したので、新築されたとのこと。富山市史の記述以外まだ見ていないので、よく分かりません。
写真 「富山市史.第2編」(大正3年 富山市)より
(次回に続きます)
【追記】(2022.05.25)
富山慈濟院の記録を見ていったら、昭和11年に刊行された「富山市史」の中に、大正5年に火災のため本館と男女収容室等大部分を焼失したという記載を見つけた。上の写真は大正3年に刊行された書籍の写真なので,この写真を「空襲で焼失した建物」として扱うのは間違いということになる。
富山空襲で焼失したのは、火災後に再建された建物である。
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