大分市に存在した建築(2)

2021-03-20

大分市の建築で、今はなくなってしまったものを挙げていきます。
最初の写真は、(旧)大分県立病院です。

1879年(明治12)に「大分県病院医学校」として設立されたのが、県立病院の始まりだそうです。

1887年(明治20)に学校が廃止され、2年後に病院も閉鎖されてしまいました。その後は医学校校長だった鳥潟恒吉氏が市立病院として経営していたそうです。
1898年(明治31)に病院再建の意見が出され、翌年の県会で予算が可決、県立病院が開設されました。

最初は内科と外科のみだったものが、産婦人科(1902年)、眼科(1911年)、耳鼻咽喉科(1915 年)、皮黴科(1924年)、小児科(1926)と診療科が増やされていきます。

この建物の建設年代ははっきりしなかったのですが、県立病院のサイトの沿革に写真が掲載されており、キャプションに「明治44年(1911年)に規模を4倍に拡大し本格的な近代的大型病院へ」とあったので、その前後なのだと思います。
しかし、この建物は1945年7月の大分空襲で焼失してしまいました。


次の写真は、(旧)大分県師範学校です。

1873年(明治6)に、旧府内藩文武館を府内學校と改めたのを起源としています。翌年、師範學校傳習所と改称し小学校教員の養成を行ないました。
1876年に校舎が火災で焼失したので、大分町字開墾地に校舎を建築し、師範学校という名称になります。

写真の校舎は、その後再び校地を移転(大分郡西大分町字駄原)して1900年(明治33)に完成した建物だそうです。
こちらの建物も、1945年の空襲で大半が焼失してしまいました。


続いては、(旧)大分県女子師範学校です。

学校の開校は1907年(明治40)でしたが、1911年(明治44)に新築移転されたのが、写真の校舎です。
女子師範学校の校舎も1945年の空襲で焼失しています。


こちらの建物は(旧)大分県物産陳列場です。
ただし、写真撮影時は「大分県立工業学校」の校舎となっています。

大分の「物産陳列場」は1887年(明治21)年に開催された「第6回九州沖縄八県聯合共進会」の会場を残して陳列場にしたのが始まりです。一時閉鎖されていましたが再開が決まり、1907年(明治40)年に本館が新築されて「物産陳列場」が開場しました。これが写真の建物になります。

工業学校の方ですが、学校はもともとは1902年(明治35)に別府町に開設された徒弟学校が始まりで、1915年(大正4)に大分県立工業徒弟学校となり、その年内に大分市に移転するが決まりました。このときは別府と大分で、物産陳列所と徒弟学校を「交換」するという話だったようです。
別府には物産陳列場が新築され、学校は大分市の物産陳列場に移ったという形です。
こちらの建物は、いつまで存続していたのか調べられませんでした。


次の写真は、(旧)大分県農工銀行の建物です。

大分県農工銀行の設立は1898年(明治31)のことでしたが、この建物は1912年(大正元)に新築されたものだそうです。
この建物のその後がよく分からないのです。

実は大分県農工銀行は、1932年(昭和7)に新築して移転しているのです。
これが下の写真の建物なのですが、1937年に日本勧業銀行と合併、現在はみずほ銀行大分支店として現存しています。(今回の記事はなくなった建物がメインなのでこれ以上書きませんが。)

このとき、それまでの建物をどうしたのでしょうか。古い建物があったのは大分市竹町通6丁目、昭和7年以降の大分農工銀行の所在地は堀川町とあったので、別の場所に建てられたと思うのです。
当時は築22年くらいなので、他の施設として利用をされたのではないかとも思うのですが…どうなのでしょう?


ほとんど分からなかったのが、次の両豊銀行。

写真は昭和12年の大分市誌からですが、大正4年から昭和15年まで存在していた銀行のようです。
この写真は昭和7年12月に完成した建物で、当時の工費が35,000円だったとのこと。大分市誌によると勧業銀行の向かいに建っていたそうなのです。

両豊銀行の所在地は「魚町」とあったので(「大分市商工便覧 昭和10年版」)、戦前の地図を見たところ、今のみずほ銀行大分支店の南側あたりが該当するようです。

国土地理院のサイトで過去の航空写真が見られますが、1948年に米軍が撮影したものがあります。もう想像だけなんですが、勧業銀行大分支店の南にある建物がなんかそれっぽくないですか? 戦後まで残ってたんじゃないかなあ?…などと推測してみました。

両豊銀行は昭和15年にいくつかの銀行と合併して豊和銀行となり、その豊和銀行も昭和17年に大分合同銀行に買収されました。なので上の写真の建物がそうだったとしても1948年当時の名称はよく分かりません。そのため「(旧)両豊銀行」としてあります。
(現在大分市に豊和銀行がありますが、こちらは1949年創業です。)


というわけで、現地調査もなく資料だけ見て書いた、大分市にあった建物「パート2」でした。見当違いのところもあるかも知れませんのでお許しを。
調べているだけで時間が過ぎ、まだ制作ができていません。…次こそは。

歴史・資料

Posted by Sakyo K.