戦前の銀行について調べてみた(3)~銀行法~

(ロ)特殊銀行 と(ハ)貯蓄銀行 を先に扱ったので、今度は(イ)普通銀行です。

(イ)普通銀行

普通銀行は「銀行法に基づいて設立される銀行である」と、昭和11年の「近代銀行簿記教授資料」は説明しています。

現在の「銀行法」は1981年に改定されたものですが、改訂前の銀行法(旧銀行法)は昭和2年に制定されたものです。

(写真は昭和6年建築の旧三井銀行船場支店です。建物は解体されました。)

銀行法が制定された昭和2年は不況でした。

遡れば第一次世界大戦が終わった後の不況に続き,大正12年には関東大震災が起こります。その影響で損害を被った手形を、日銀が再割引をして保証した、いわゆる震災手形の処理がなかなか終わらず,昭和2年までかかっていました。銀行法はその年の2~3月に議会で審議していますが,同じ時期予算委員会の大臣の失言(東京渡辺銀行の破綻)をきっかけに、3月~4月に多くの銀行が支払い停止や休業に追い込まれました。この恐慌は「昭和金融恐慌」と呼ばれていますが、産業の壊滅までには至らずなんとか収まったとのことです。

そのような状況だったので、銀行法は規制を強めて銀行経営の堅実化を図ろうとしたものでした。例えば資本金が百万円以上の株式会社でなければ,銀行経営をしてはいけない、と決めたこと、銀行の兼業を大幅に制限したことなどです。銀行法は昭和3年1月に施行されました。

さて、昭和4年のアメリカで起きた世界恐慌は世界に広まり,日本は昭和5~6年にかけて深刻な不況となります(昭和恐慌)。

昭和5年には金解禁も行われため,益々不況に拍車がかかりました。

銀行だけでなく,中小企業の倒産が相次ぎ、失業者は250万人(昭和5年時点)と推定されている状態です。

日本の輸出が減ったことも打撃でした。これは工業だけでなく、生糸の輸出が激減したため農村にも大きな影響を与えます。さらに、昭和5年の豊作が米価下落を招き、朝鮮や台湾からも米が入ってきていたので,農村は大打撃を受けました。

そういった時代の中,銀行は整理が進められました。
昭和8年に出版された「銀行大鑑」(銀行通信社編)に当時の銀行数が載っています。
以下の表のように,銀行は整理統合されていったのです。

なお、大正9年から10年のところで貯蓄銀行の数が大きく減少していますが,これは貯蓄銀行法が制定され,制限がかけられたためです。また特殊銀行が徐々に減少しているのは,各県にあった農工銀行が勧業銀行と合併していったからです。

「銀行大鑑」は次のように論評しています。

(大正10年の普通銀行が最多であることについて)「これは欧州戦後の財界好況期に如何に多くの銀行が濫設されたかを物語るものであり、やがて自滅の域に到達すべき原因を作ったものであった事が窺ひ知られる。」

以上,銀行法が出た時代について調べてみました。