2代目県立秋田図書館の開館
昨日の記事で、県立図書館の場所が特定できなかったと書いたが、すぐに分かった。当時の地図を見つけることができた。
図書館はお堀の南側、師範学校の隣にあったのだ。
前回とは別の写真も見つけ、お堀の脇に建っていることも確認できた。建物の正面は東側を向いていた。(図書館報の表紙には「大正八年度」と書かれているが、実際に発行されたのは大正10年3月。)
今回はこの建物の建設について書く予定だが、この図書館は2代目なので、時間を戻して県立図書館の発足の話から始める。
(1)前史
県立秋田図書館の前史として、1879年(明治12)の「秋田公立書籍館」があった。1880年1月に民家を借りて開館したのだが、手狭であったため半年後に師範学校教師館に移転をした。学校の附属施設ではなく独立施設にしたいということで1882年には単立の書籍館となったが、1884年に経費の問題から休館となってしまう。
再開館せぬまま、1886年(明治19)3月に正式な廃止が決められてしまった。
(2)初代県立図書館
情況が動いたのは、1896年(明治29)の県議会で図書館設置の建議が提出されたことである。
翌年の議会で、〝1899年の開館を目標にして図書館を設置する〟方向が決まり、準備が進められた。
図書館の敷地は千秋公園の南西側で、ここにあった建物を買い上げ、1899年(明治32)11月に開館をした。これが県立秋田図書館の初代の建物ということになる。
図書館は「巡回文庫の実施」「郡立図書館への設立補助制度」「郷土資料の購入」など評価される活動も行なってきた。
蔵書数も利用者数も着実に増加していった。
(3)二代目県立図書館
1912年(大正元年)の県議会で、県として天皇の即位記念事業を行なうことを決定し、1914年の議会で、記念館と図書館を建設することになった。
千秋公園の南側には公会堂(1904年築)があるが、その南隣に記念館を、堀の南側の神社があった場所に図書館を建てる計画であった。
1915年に図書館の建て替えによる位置変更について知事から文部大臣に申請をし、工事が本格的に始まったのは1916年6月だった。
建物が落成したのは1918年(大正7)10月21日で、10月31日に落成式が開催された。
本館は木骨人造石塗、書庫は鉄骨煉瓦造で、総建坪305坪7合5勺(1010.74㎡)うち本館245坪2合5勺(810.74㎡)、書庫40坪(132.23㎡)、附属建物20坪5合(67.77㎡)とある。
一階の閲覧室は広さ54坪(178.51㎡)で、座席は110席だった。この他に、一階に児童閲覧室、二階に特別閲覧室と婦人閲覧室があった。
図書館の建築費は100,563円4銭、記念館の建築費が108,104円87銭、雑費が12,830円9銭、合計で221,498円の経費だったと記録にある。
開館は1919年(大正8)6月1日で、開館当初は蔵書数66,000冊、翌年には106,000冊に増加した。開館当初の利用者は一日平均450人、そのうちの三分の二が学生だったそうだ。
内部の写真もあったので掲載する。一階の閲覧室のようだ。
前回の記事で書いたように、1961年に新しい図書館が千秋公園南側(つまり堀の北側)に建てられ移転する。それまでこの建物が使われたのだった。
解体された年は良く分からなかった。1962年(移転の翌年)9月の空中写真にはまだ建物は写っていたが、1967年5月の空中写真ではもう別の建物が完成している。おそらく、移転後は他の用途に使われることなく、数年の内に解体されたのだと思う。
前回の図書館の写真は、木の陰になって窓の形が分からない部分があったのだが、今回別の写真も見つけたので建物の正面の形もはっきりした。
これでポップアップカードも制作できそうだ。
【参考】
「大正8年度秋田県立秋田図書館報」(秋田県立秋田図書館/1921)
「秋田県立秋田図書館一覧」(秋田県立秋田図書館/1934)
「秋田県立秋田図書館沿革史 昭和36年度版」(秋田県立秋田図書館/1961)
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