ワグネル博士顕彰碑

岡崎公園を歩いていると,「ワグネル博士顕彰碑」と書いた石碑がありました。
奥を見ると,写真のような大きな碑が建てられています。

ゴットフリード・ワグネル(1831-1892)ドイツ出身のお雇い外国人(ドイツ語での発音はゴトフリート・ヴァーゲナー)。京都府立医学校、東京大学教師、東京職工大学(現在の東京工業大学)教授。(wikipedia参考)

京都新聞のHPに、この碑が建てられたのは1924年(大正13年)であることと、ワグネル博士の功績が書かれています。しかし、碑文の原文が何と書かれているのか、ネットでざっと見たところ,見つけられませんでした。
そこで、写真をもとに書き起こしてみることにしました。
もとは、三枚目の写真のような漢字とカタカナですが、旧字の部分もあり分かりにくいので、カタカナをひらがなに置き換え,旧字体を現在の字体に置き換え、適宜句読点を補いました。

こんな文章でした。
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ドクトル・ゴッドフリード・ワグネル君は独逸国ハノーヴェル州の人なり。維新の初我邦に来り。科学を教導し工芸を掖進すること二十余年、殊に本所に於て尤も恩徳あり。明治十一年、君本府の聘に応じ来て理化学を医学校に化学工芸を舎密局に教授し、旁ら陶磁七宝の着彩琺瑯玻璃石鹸薬物飲料の製造色染の改善に及び、講演実習並び施し人の造成産業の指導功教彰著官民く頼る。大正十三年、本市東宮殿下御成婚奉祝万国博覧会参加五十年記念博覧会を岡崎公園に開く。初本邦斯会に参加するや君顧問の任を帯びて本市に来り頗る斡旋する所あり。是に至て市民益々君の功徳を思ひ遂に遺容を鋳て貞石に嵌し之を会場の一隅に建つ。はくは後昆瞻仰して長に旧徳を記念せむことを。
京都市長従三位勲二等馬淵鋭太郎誌す
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(修正しましたが,まだ誤記が残っているかもしれません。)

大正13年に京都で開催された博覧会は岡崎公園を中心に開催されました。
東宮殿下(昭和天皇)御成婚と、日本がウィーン万国博に初出品してから50年となるのを記念して開催された博覧会です。入場者数は約122万人(京都市HPより)。

京都博覧会というのはこの時が初めてというものではなく,第1回の1872(明治5)から、昭和3年まで毎年のように開催されていた行事です。
ワグネル博士が京都に来たのは1878年(明治11)ですが,上の文は,その時期に開催された博覧会にワグネル博士は「顧問」という立場で関わっていたという意味だと思います。そのため、以前の博覧会での功績+京都市への功績を改めて後世に伝えようと,京都市が建立したのでしょう。
馬淵鋭太郎が京都市長となったのは1921年です。

最後に,碑のワグネル博士の肖像部分を拡大して載せておきます。

(補足)

舎密局(せいみきょく)は、明治に作られた化学技術の研究・教育・勧業のための公営機関。
明治2年に大阪,明治3年に京都に設置された。

(2019年7月25日一部修正。)
修正場所は青文字で示してあります。
「庶幾はくは」は「こいねがわくは」と読むらしいです。
「後昆」(こうこん)=のちの世の人
「瞻仰」(せんぎょう)=仰ぎ見ること、敬い慕うこと