旧三好郡公会堂

これは先日作ってメインサイトに掲載したポップアップカードだ。
モデルになったのは三好郡公会堂という建物である。

国立国会図書館デジタルコレクションで市町村史などを見ているときに、既に存在しない建物を見つけると、それを記録しておくことがある。
この建物も、以前デジタルコレクションを見ていて見つけたものだ。

1914年(大正3)に徳島県が発行した「自治経営写真帖」という本がある。徳島県内の自治体の施設や事業について写真を集めてまとめたものである。
そこに三好郡公会堂も掲載されている。

写真の右側には次のようなこと書かれている。(概要)

今までの公会堂が狭くて不便だったので、建て直すことになった。工費10,839円を投じて明治45年(1912)7月に着工し、大正2年(1913)6月に完成した。公会堂が96坪、附属室39坪である。給水栓や防火栓、階上階下ともに電灯設備を備え、高台に建てられたので壮麗な眺めである。

上の写真から外観部分を拡大したのがこの写真だ。しかしこれでは建物の細部がよく分からない。

他の写真を探して「池田町誌」(池田町/1962)にあるのを見つけた。このページは、実際は1926年の「池田町誌 上巻」の再録部分である。写真のキャプションは「三好郡公会堂」とあるのに門柱には「池田町公会堂」という札が掛かっている。

「池田町誌」によると次のようなことが書かれていた。(要約)

郡役所の敷地が狭く建物も古いので建て直したいという希望が出ていたが、経費の問題があるのでまず公会堂を建てることが決まった。大正元年(1912)10月に起工、大正2年(1913)6月工事完了、11月19日に落成式を開催した。建築費は2055円だということだ。
大正12年(1923)郡制が廃止されたあとは池田町の所有になり、今(1926年時点)は池田町公会堂と称する。

「自治経営写真帖」の記述と異なっている部分がある。(1) 先代の公会堂はあったのか、それとも郡役所のことか。(2)着工日のズレ。(3)建築にかかった金額は?

県が作ったものよりも町が作った資料の方を信じたい気もするのだが、実は「池田町誌」の説明文は1924年に出された「三好郡志」からの引き写しのようなので、判断しないでおく。(三好郡志の方には「名前が池田町公会堂と変わった」ことだけ書かれていない。)

ともかく「池田町公会堂」という札が掛かっている写真があり、文章でもそう書かれているので、名称が変わったことは間違いがないのだろう。

私の建物に対する興味は、建築的な価値よりも、その建物が経てきた歴史の方が大きい。
現存しない建物は、建築年だけでなく消失した年も知りたいし、その間どのように使われたかも知りたいと思う。しかし市町村史などでは竣工時のことは記事になるけれど解体についてはあまり触れられない。

「池田町誌」などを確認して、建物の歴史を下記のようにまとめた。

1905年(明治38)町制施行、池田町発足。
1913年(大正2)三好郡公会堂竣工。11月19日に落成式を開催した。
1923年(大正12)郡制が廃止されたため池田町の所有となり、池田町公会堂と名称を変更。
1945年(昭和20)4月、公会堂に池田女子工業青年学校を開校。(1年限り)
1947年(昭和22)池田区検察庁、池田簡易裁判所の仮庁舎として利用。
1948年4月、(新制)池田中学校の校舎として利用。旧公会堂を本館とし、元工兵廠舎を移築して利用した。

以後は中学校として利用されたので、中学校の沿革から拾い出す。

1949年(昭和24)運動場新設
1951年(昭和26)東校舎新築
1957年(昭和32)創立10周年記念図書館落成
1962年(昭和37)運動場第3期拡張
1963年(昭和38)理科室技術室新築
1966年(昭和41)鉄筋3階建ての新校舎竣工(着工は1965年)

私は確認できなかったのだが、1966年の新校舎建築の前には解体されただろうと思うので、1960年代前半の解体ではないかと推測した。

60年代の航空写真は解像度が低くて建物の形が分からなかったので、1947年と1975年の写真を参考に載せる。

1947年の写真の矢印で示した建物が旧公会堂なのだと思う。

【参考】
「自治経営写真帖」(徳島県/1914)
「三好郡志」(徳島県三好郡/1924)
「池田町誌」(池田町/1962)(1926年刊の「池田町誌 上巻」を含む)
「三好郡教育史」(三好郡教育会/1968)
「池田町史 中巻」(池田町/1983)

歴史・資料

Posted by Sakyo K.