大正時代の秋田市の建物

2024-07-02

またポップアップカード作りのための下調べ。今回は秋田市に昔あった建物を見ていく。
1925年(大正14)に秋田市が発行した「秋田案内」という書籍を見つけた。この書籍には写真も掲載されているので、当時の建物を拾い出した。


まずは県立秋田図書館。
1918年(大正7)に竣工した図書館。秋田市東根小屋町に建てられたそうだが、ちょっと場所が特定できなかった。現在の町名では秋田市中通にあたる。(→分かりました。)

県立秋田図書館は1961年に千秋公園(久保田城跡)の南側に新築されて移転した。旧図書館はすぐに解体されたんだろうか、まだ調べていない。
新築された方の県立秋田図書館を確認したら、もうその建物もなくなっていたので驚いた。
県立図書館は1993年に秋田市山王新町に新築移転したというのだ。千秋公園の南には現在は「あきた芸術劇場ミルハス」が建っている。

つづいて、秋田県記念館。
1918年(大正7)に、千秋公園の南側に建てられた。

千秋公園の南側には1904年(明治37)に秋田県公会堂が建てられていた。公会堂が手狭になってきたのでそれを補うために隣に記念館を建てたのだ。
ところが、記念館の建設中の1918年4月29日、県公会堂が火災で焼失してしまった。そのため記念館が公会堂の役割を果たすようになったそうだ。

焼失してしまったため「秋田案内」には写真が載っていないので、「秋田県写真録」(1917)から公会堂の写真を引用する。小さな写真なので画像が荒いが、こんな建物だった。

公会堂を設計したのは、山口直昭。彼はほかに秋田銀行本店も設計した。

再び「秋田市案内」掲載の写真に戻る。
これは秋田市役所庁舎。

秋田市が市制を施行したのは1889年(明治22)で、最初の市庁舎は南秋田郡役所の建物を利用していた。1905年に火災で焼失し、しばらく仮庁舎で業務を行なってきたが、1909年(明治42)に建てられたのが、写真の市庁舎だ。2代目の市庁舎ということになる。
写真の建物は、1964年に3代目の市庁舎が完成するまで使われた。

1962年の空中写真に、当時の市庁舎が写っている。

建てられたばかりの県民会館と県立図書館も写っているが、どちらももう存在しない。なお、上に書いた公会堂は、県民会館の場所にあった。

次の写真は秋田鉱山専門学校だ。
1911年に開校した専門学校で、1949年に秋田大学に包括されて秋田大学鉱山学部となった。

この写真では建物の形があまり分からないので、再び「秋田県写真録」から引用する。

煉瓦造らしい校舎の写真が掲載されていた。

もう当時の校舎は残っていないが、現在秋田大学にある百周年記念館(2012年竣工)は、秋田鉱山専門学校の本館の外観を再現した建物だという。(上の写真は本館ではなく別の校舎。)

以上、秋田市に大正時代に存在した建物をいくつか掲載した。
これらの中からいくつか選んでポップアップカードを作ろうと思っている。

【参考】
「秋田県写真録」(秋田県写真交換会編/秋田県写真交換会/1917)
「秋田市案内」(秋田市/1925)

歴史・資料

Posted by Sakyo K.